模倣と創作と著作権

こんばんは。

来週の「日中比較文学論」で、魯迅に与えた日本近代文学の影響を取り上げます。
それで、秋吉收『魯迅 野草と雑草』(九州大学出版会、2016年)を読み返していました。

魯迅の散文詩集『野草』が、日本の近代文学からどれほど多くの素材を摂取しているか、
厖大な質量の資料を元手として、精緻で行き届いた論証が展開されています。
昨年の授業で交換留学生に今一つ伝わらなかったところは
『晨報副刊』所掲作品と『野草』執筆の準備期間との関連性を明示するつもりです。

ところで、この授業ではずっと、現代的な著作権の問題が伏流しています。
古来、日本の文学がどれほど中国文学から直接的な影響を受けているかを知った学生が、
それを現代的常識に照らして、どうなんだろうと疑問に感じたようで、
これは、そこから浮かび上がってきた問題意識なのです。

この問題について、今回真正面から取り上げることができるかもしれません。
というのは、秋吉收氏が本書の「あとがき」で触れているように、
魯迅自身が“模倣による創作”という流儀にコンプレックスを抱いていたらしいからです。
言うまでもなく、こうした表現手法は古来中国には普通にあったものですが、
近代初頭に位置する魯迅には、それが後ろめたいこととして感じられていたらしい。
時代が大きく切り替わる、その狭間を生きた人ならではの苦しさだったのかもしれません。

それにしても、これは本当に凄い本で、毎年この授業で紹介できることに誇りを感じます。
本物の論著を世に問える研究者がここにいる、と指し示すことができる誇らしさ。
自分の研究成果ではないのに、この世界もまだまだ捨てたものではないと嬉しくなるのです。
このような研究に触れると、自分もがんばろうと元気が湧いてきます。

2020年12月15日