演習授業の方法
こんばんは。
昨日は、曹植の「求自試表」について、
明帝を周の成王に重ねているという点から見るとその趣旨が明瞭になる、
といったふうなことを述べたばかりなのですが、
今日は、当時の三国鼎立の情勢を、周の宣王の故事に重ねるくだりに遭遇しました。
この作品は、まだ半分も読んでいません。
まだ見通しを立てる段階にはない、と戒められたように感じました。
ところで、私はこれまで(少なくとも十年以上)、
演習科目では白居易と元稹との交往詩を読み続けてきました。
それは、学生に古典文学作品と直に向き合ってほしいという願いからです。
加工された情報ではなく、直接、古人の言葉に触れる体験をしてほしかったのです。
ですが、来年度からこの方法はやめにして、
比較的多くの同僚たちが取っている授業の方法、つまり、
自分で見つけたテーマで研究発表をするという方式にしようかと考えています。
学生たちが置かれた情勢の流れる速度に、
私が長らく保持してきた授業方法が適合しなくなっていると感じるのです。
ただ、中国古典文学という非常に大きなものを相手に、
半年かそこらで何かを論じることができるようになると考えることは、
大変に不遜というかなんというか。
論じるというより、興味を以て近づいてみる、というくらいがよさそうです。
そして、論じるときは、必ず原文に触れて、そこから引き出されたものであること。
こうした条件を示すならば、私の思いも学生たちに通じるでしょうか。
2020年12月4日