漢籍電子文献資料庫のおかげ

こんにちは。

先にこちらで言及した曹植「黄初五年令」の句、

伝曰:知人則哲、堯猶病諸。
伝に曰く、「人を知るは則ち哲、堯も猶ほ諸(これ)を病む」と。

この句の出所はおそらくここか、というところが分かりました。

「知人則哲」は、先にも述べたとおり『尚書』皋陶謨、
「堯猶病諸」は、『論語』雍也篇に、仁を実践する困難をいう、
「堯舜其猶病諸(堯・舜も其れ猶ほ諸を病む)」を用いたのだと思われます。

『尚書』と『論語』とを綴り合せたのが、曹植その人か、
曹植がこれらの句を「伝」として引く以上、そうした文献が実在したのか、
それとも、曹植の記憶違いによる記述なのかはわかりませんが、
漢籍電子文献資料庫のおかげで、ここまでは辿れました。

ところで、
『論語』憲問篇にいう「子貢方人、子曰賜也賢乎哉、夫我則不暇」
(子貢 人を方(くら)ぶ、子曰く 賜(子貢)や賢なるかな、夫れ我は則ち暇あらず)
その疏に
「夫知人則哲、堯舜猶病」とあって、曹植の文章に近いのですが、
論語の疏は、宋代の邢昺によるもので、曹植がそれを見ているはずはありません。
邢昺が曹植の文章を見ている可能性はあるでしょうし、
両者がともに基づいた「伝」なるものがないとも言い切れません。
(経学に詳しい方には判断が可能なのかもしれません。)

2022年7月16日