漢魏の人々のユーモア

こんばんは。

『曹集詮評』を底本にして、本文を校勘する作業を進めています。
校勘を終えたテキストは、いずれこちらでも公開しようと考えております。
(たぶんこの時代に今更なぜと思われる作業なのでしょうが敢えて。)

本日、ひととおり作業を終えた「鷂雀賦」(巻3)は、
猛禽類の鷂(ハイタカ)と、危うくその餌食になりかけた雀とのやり取り、
そして、危機を脱した雀が、連れ合いに自身の体験を自慢げに語って聞かせる段という、
二つの場面から成る、ユーモラスな、科白劇のような作品です。

福井佳夫氏は、この曹植「鷂雀賦」について、先行研究を丁寧に紹介した上で、
さる論文が、石刻資料に基づいて本作品の成立年を黄初二年(221)としていることを述べ、
これを土台として、本作品を次のように位置付けておられます。

民間文学に似せた寓話ふうスタイルをとり、
本音をユーモアの糖衣で韜晦させながら、さりげなく心情を吐露した。*

黄初二年といえば、その前年、腹心であった丁儀丁廙兄弟を兄の文帝曹丕に殺され、
依然として、厳しくその言動を監視されているのが当時の曹植の現状です。
そうした現実を踏まえてなお、この作品をユーモア文学と捉える福井氏の所論は、
実に含蓄深い捉え方であり、十分な説得力を持っていると私は思います。

そして、とても興味深いと感じるのは、曹植が持つ気持ちの幅の広さです。
自身が置かれた現状に絶望しつつも、その心情を諧謔的に表現する。
そして、その表現によって、おそらくは幾許かの慰めや解放感を味わったのではないか。
この時代の人々の、心のしなやかな重層性を思います。

ちなみに、雀の頭を「果蒜(にんにくの粒)」と描写しているのが何とも可愛らしく、
これから雀の後頭部を見る機会があるごとに思い出しそうです。

2021年3月28日

*福井佳夫『六朝の遊戯文学』(汲古書院、2007年)pp.197―218「曹植「鷂雀賦」論」を参照。