瑞祥を演ずる宴席芸能
曹植「大魏篇」の中に、次のような一節があります。
黄鵠游殿前 黄鵠は殿前に游び、
神鼎周四阿 神鼎は四阿に周(あまね)し。
玉馬充乗輿 玉馬は乗輿に充ち、
芝蓋樹九華 芝蓋は九華を樹(た)つ。
白虎戯西除 白虎は西の除(きざはし)に戯れ、
舎利従辟邪 舎利は辟邪に従ふ。
騏驎躡足舞 騏驎は足を躡(ふ)みて舞ひ、
鳳凰拊翼歌 鳳凰は翼を拊ちて歌ふ。
ここに詠じられている鳥獣たちは、
その多くが、徳ある為政者に応じて現れる瑞祥です。
「黄鵠」は、『漢書』昭帝紀に、始元元年、建章宮の太液池に舞い降りたことが記され、
また特に「黄」は、土徳を有する魏王朝を慶賀するものでしょう。
「玉馬」も、賢明なる君主に応じて現れる瑞祥(『藝文類聚』巻99下に引く『瑞応図』)、
「白虎」「騏驎」「鳳凰」も同様です(『白虎通』封禅)。
ところが、その間に必ずしも瑞祥ではないらしい「舎利」「辟邪」が混じっています。
「舎利」は、張衡「西京賦」(『文選』巻2)に、
平楽館で上演される百戯のひとつとして次のように描かれています。
含利颬颬、化為仙車、驪駕四鹿、芝蓋九葩。*
含利颬颬として、化して仙車と為り、四鹿を驪駕せしめ、芝蓋に九葩あり。
「辟邪」は、鹿に似て尾が長く、二本の角を持つ神獣だと、
『漢書』西域伝上、烏弋山離国に見える「桃抜」の孟康注に説明されています。
すると、前掲「西京賦」にいう「含利」が化した「仙車」を引く「四鹿」は、
「大魏篇」で「舎利」が従っている「辟邪」と同じものを指しているかもしれません。
いずれにせよ、「舎利」「辟邪」は百戯に登場する神獣のようです。
それが、「黄鵠」「玉馬」「白虎」「騏驎」「鳳凰」と同列で登場しているのです。
すると、もしかしたら前掲の瑞祥もまた、百戯として演じられていたのかもしれません。
黄節『曹子建詩註』に、
以上白虎・舎利・辟邪・騏驎・鳳凰之属、
薛綜「西京賦」注所謂「羆・豹・熊・虎、皆為仮頭也」。
以上の白虎・舎利・辟邪・騏驎・鳳凰の属は、
薛綜の「西京賦」注に謂ふ所の「羆・豹・熊・虎は、皆仮頭を為すなり」なり。
というのは、このことであったかと思い至りました。
つまり、「大魏篇」に詠じられているこの世ならざる鳥獣たちは、
頭にかぶりものをして演じられる出し物であったらしいということなのでしょう。
2025年6月16日
*「舎利」と「含利」とは、同じものを指す。『続漢書』礼儀志の劉昭注補に引く蔡質『漢儀』には、元旦の朝会で披露される芸能として「舎利従西方来(舎利 西方従り来たる)」云々と見える。