生命誌と道家思想
こんにちは。
授業「文学」の準備で読んだ岡田充博氏の所論に、*1
『荘子』至楽篇に見える次のくだりが紹介されていました。
旅する列子が、道端に打ち捨てられた髑髏に出会って語りかけた言葉です。
種有幾。得水則為㡭、得水土之際則為蛙蠙之衣、生於陵屯則為陵舄、陵舄得鬱棲則為烏足、烏足之根為蠐螬、其葉為蝴蝶。胡蝶、胥也、化而為蟲、生於竈下、其状若脱、其名為鴝掇。鴝掇千日為鳥、其名曰乾餘骨。乾餘骨之沫為斯彌、斯彌為食醯。頤輅生乎食醯、黃軦生乎九猷、瞀芮生乎腐蠸。羊奚比乎不箰久竹生青寧、青寧生程、程生馬、馬生人、人又反入於機。万物皆出於機、皆入於機。
生き物にはどれほどの種類があるだろう。水という環境を得れば㡭(水生生物)となり、水と土との際に生ずれば青苔となり、丘陵に生ずればオオバコとなり、オオバコが糞土を得れば烏足(植物)となり、烏足の根はスクモムシとなり、烏足の葉は胡蝶となる。胡蝶は、胥(蝶の名)であって、変化して虫となり、竈の下に生じて、その形状は抜け殻のようで、その名を鴝掇という。鴝掇は千日が経過した後に鳥となり、その名を乾餘骨という。乾餘骨の唾液は斯彌(虫の名)となり、斯彌は食醯(虫の名)となる。頤輅(虫の名)は食醯より生じ、黃軦(虫の名)は九猷(虫の名)より生じ、瞀芮(虫の名)は腐蠸(虫の名)より生じる。羊奚(草の名)は筍を生まない竹と交わって青寧(虫の名)を生じ、青寧は程(虫の名)を生み、程は馬を生み、馬は人を生み、人はまた機(万物を造りなす根源的システム)に帰っていく。万物はみな機より出で、みな機に戻っていく。
ここに示されているのは、幾多の種類の生き物たちが、
ひとつの根源から連なりあって生じ、またひとつの根源に帰っていく様です。
知識としては知っていたはずのこの道家的発想ですが、
最近知った、生命誌の知見とオーバーラップすることに感激しました。
生命誌研究者の中村桂子氏は、こう書いていらっしゃいます。*2
地球上には幾千万種に及ぶ様々な生きものがいるが、
そのすべては、DNAという物質を含む細胞でできている点で共通している。
これは、一つの祖先細胞からすべてが進化し、今の生きものたちになったからだ。
この共通祖先となった細胞は、38億年ほど前の海に存在したことが明らかにされている。
(自分なりにまとめたので、不正確なところがあるかもしれません。)
最先端の生命思想と中国古典とがここまで重なり合うとは。
もしかしたら、真実というものは本当にあるのかもしれないと思いました。
また、道家思想とは、古代人の徹底した自然観察と奔放な空想の化合物だと感じます。
2022年7月23日
*1 岡田充博「先秦時代の変身譚について」(『横浜国立大学教育人間科学部紀要Ⅱ(人文科学)12、2010年)。
*2 中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中公新書ラクレ、2022年)所収コラム2「生きものはみんな仲間」によって私は知り得ましたが、氏の専門性をより前面に打ち出した書物に詳しく論じられているのだろうと思います。