白居易の弁明(承前)

こんにちは。

元稹の「雉媒」詩が含む攻撃的な詰問に対して、
白居易は「和雉媒詩」において、これを注意深くかわしていると私は見ます。
そう解釈したた理由は以下のとおりです。

まず、白居易詩は、元稹詩のように、
一対の雉を、自分たちに重ね合わせるような人称を用いてはいません。

白居易詩の中で、「君」と呼び掛けているのはあくまでも元稹その人です。
仲間に裏切られて罠に陥った雉を、「君」と称して元稹に重ね合わせたりはしていません。

そして、白居易は、元稹の詠ずる雉媒の物語をそのまま受けて和するのではなく、
まず、人間の世界にも同様のことがある、と一旦話柄をずらした上で、
雉媒の事情を、第三者としての視点から淡々と説明しています。

白居易は、この雉を、「我」と称して自身に重ねるようなことはしていません。
この点、それを「君」という人称で呼んでいた元稹詩とは異なります。
元稹から「君」と名指しで向けられた厳しい難詰を、
白居易は自分のことだと受けとめることを回避しているのです。

これを、本当に自身に向けられた難詰だとは思いもしなかった、
と見ることはできないように思います。

そう思わせるのは、この「和雉媒詩」の冒頭に述べられた奇妙な言い訳です。
「和答詩」十首のうち、このように詩作の舞台裏を明かすものは他に見当たりません。
なぜ、白居易はこのようなことをわざわざ述べたのでしょうか。
しかも彼は、元稹詩を吟じて「哂」、つまり、ほほえましく感じたと言い、
いかにも余裕のある態度を演出してみせています。

これらはすべて、白居易が元稹詩に撃ち抜かれたことを物語っていると私は見ます。
白居易は内心、元稹をその窮地から救い出せないうしろめたさを抱いており、
元稹が自分に疑念を抱いているらしいことも察知していたでしょう。

その上で、元稹の難詰をかわしつつ、
(自分はどこまでも君の味方だと明言しながら)
元稹詩の趣旨には同感だということを表明して「和」詩を作った、
そのようなことを、この白居易詩から読み取ることができるように思います。

2022年1月30日