直接引用の意味

こんばんは。

毎日少しずつ『曹集詮評』の校勘作業をしながら、ふと思い至ったこと。

曹植「陳審挙表」(『曹集詮評』巻7、『三国志(魏志)』巻19陳思王植伝)には、
実におびただしい数の古典語や歴史故事が直接引用されています。
なぜでしょうか。

現代日本人の多くは、これを知識のひけらかしだと感じるかもしれません。
けれど、もしかしたらそれはこういうことなのかもしれない、
と思い至ったことがひとつあります。

それは、
この文章は、私的な個人の意見を言っているのではなくて、
古来蓄積されてきた知的共有財産に基づく公的見解を表明するものなのだ、
という意思表示としての直接引用ではないか、ということです。

自分の考えを飾り立て、権威付けるための引用ではなくて、
自分の考えが、滔々と流れるものの中に位置付けられるという意識です。
我勝ちに自己アピールすることをよしとする、現代的風潮の対極にあるものです。

もちろんそれは、自分を消して全体の中に呑み込まれよと言っているのではありません。
「我」を棄てて「みんな」の考えに歩み寄るということとも似て非なるものです。

2022年7月13日