直観と検証
こんばんは。
曹植「朔風詩」(『文選』巻29)を読み始めてすぐ、
これは「失題」詩(『曹集詮評』巻4)に似ていると思いました。
双鶴倶遨遊 双鶴 倶に遨遊し、
相失東海旁 相失ふ 東海の旁。
雄飛竄北朔 雄は飛びて北朔に竄(のが)れ、
雌驚赴南湘 雌は驚きて南湘に赴く。
棄我交頸歓 我が頸を交へたる歓びを棄て、
離別各異方 離別して各(おのおの)方を異にす。
不惜万里道 惜しまず 万里の道を、
但恐天網張 但だ恐る 天網の張れるを。
「朔風詩」にも、ここに挙げた「失題」詩と同様、
北と南とに引き裂かれた者の悲しみが詠われているからです。
また、「朔風詩」は彼の「雑詩六首」其一にも似ていると思いました。
(両詩を収載する『文選』巻29において、後者は前者に続けて出てきます。)
遠い南方にいる慕わしい人に思いを馳せていること、
舟を泛べて会いに行きたいという叶わぬ思いを詠じていることが共通しています。
余冠英の所論は、「失題」詩の成立を、
「贈白馬王彪」詩(『文選』巻24)と同時期だと推測しています。*
特に根拠が示されているわけではありませんが、強い説得力を持つ見方です。
他方、「朔風詩」の成立時期については諸説があるようですが、
「失題」詩、「贈白馬王彪」詩と同時期に成ったのではないかという気がしています。
その言葉の使い方や発想の類似性から、そう感じるのだと思います。
もちろん、精読するうちに、この直観は修正を迫られるかもしれません。
直観は自由に、後から理詰めで検証を、というスタイルです。
2021年2月22日
*余冠英「建安詩人代表曹植」(『漢魏六朝詩論叢(中華現代学術名著叢書)』商務印書館、2016年)