知的共有財産と著作権
こんばんは。
前近代の中国において、
ほぼ同じ記述が、別の人の著作に認められることは少なくありません。
今なら著作権に抵触しそうな事柄ですが、
では、彼らにこのような意識がなかったかというと、必ずしもそうではありません。
北斉の顔之推は、その『顔氏家訓』慕賢篇で次のように説いています。
用其言弃其身、古人所恥。
凡有一言一行、取於人者、皆顕称之、不可窃人之美、以為己力。
雖軽雖賤者、必帰功焉。
窃人之財、刑辟之所処、窃人之美、鬼神之所責。
その言葉を用いながら、その本人を無視するのは、古人の恥としたところだ。
およそ言葉ひとつ行いひとつでも、人から得たものであるならば、
そのことをすべて明示し、顕彰すべきであって、
人の美を盗んで、自身の力によるものとしてはならない。
どんなに身分の低い者であろうとも、必ず彼の功績とすべきである。
人の財を盗めば、刑法によって処罰される。
人の美を盗めば、鬼神に責め立てられるであろう。
現代でいう著作権が、多く金銭に絡む問題であるのに対して、
顔之推が言っているのは、人の営為には敬意を払おうというモラルでしょう。
その違いはあっても、ここで顔之推ははっきりと、
人から得た知見や言葉を黙って用いることの非を説いています。
顔之推がこのように説いているということは、
それだけそうした事例があったということの証かもしれません。
そして、案外そうした人々は、そのことを罪だとは思っていない可能性があります。
彼らは、こっそり人の美を盗むという意識ではなくて、
それを特定の誰にも属さない知的共有財産と見ているのかもしれません。
2021年8月25日