石の虎を射る話
こんにちは。
曹植「黄初六年令」(『曹集詮評』巻8)の中に、
誠心は天地金石をも動かすということの一例として示された、
「雄渠李広、武発石開(雄渠・李広は、武発して石開く)」という句は、
西周時代の楚の君主、熊渠(雄は、熊と音が同じ)、及び
前漢時代の将軍、李広の故事を踏まえています。
熊渠については、劉向『新序』雑事篇にこう記されています。
楚熊渠子、夜行見寝石、以為伏虎、関弓射之、滅矢飲羽。下視知石也。
楚の熊渠は、夜に移動していて横たわる石を見かけ、それを伏せた虎だと思って、
弓を引き絞ってこれを射ると、その矢も羽も深く呑み込まれた。
見下ろしてよく観察すると、それが石だとわかった。
この逸話は、『韓詩外伝』巻六にもほぼ同じ文面で見えています。
李広については、『史記』巻109・李将軍列伝に次のとおりあります。
出猟、見草中石、以為虎而射之、中石没鏃、視之石也。
李広は猟に出て、草の中の石を見かけて、虎だと思いこれを射たところ、
矢は石に命中し、やじりが深く突き刺さったが、よく観察するとそれは石だった。
熊渠と李広とでは、その生きた時代がずいぶんかけ離れています。
けれども、二人の真率なる武勇を語るエピソードは、こんなにも似ています。
後漢の王充は、『論衡』儒増篇の中で、これらのエピソードをまとめて、
(『呂氏春秋』季秋紀・精通篇に見える、養由基が石の兕を射た話もあわせて)
「儒書」の割り増し表現の一例として挙げています。
思えば、これらのエピソードを記す書物の成立は、
『呂氏春秋』『韓詩外伝』『史記』『新序』のすべてが秦漢時代です。
これらの書物は、一本の線でつながる継承関係にあるのではなく、
その背後に、話題の共通基盤のようなものがあったように思えてなりません。
2022年8月25日