研究と人柄と経験と

恩師、岡村繁(私の中では“岡村先生”です)の言葉は、
その声とともに今でもよく思い出します。

あるとき、こうおっしゃった。

人に迷惑さえかけなければ何をやってもいいのや、
研究と人柄は関係ない。

先生の『陶淵明 世俗と超俗』(NHKブックス、1974年)に対して、
お前は人間がなっていないからこんな見方しかできないのだ、
と人から批難されるようなことがあったらしい。
そうしたお話の流れで出た上記の言葉だったと記憶します。

他方、こんなこともありました。

私は卒論・修論とも、
竹林の七賢の一人、魏の阮籍の文学に取り組んだのですが、
はじめての学術論文を投稿する際、
次のような内容の言葉をかけてくださいました。

隠者になってはいけない、
泥をかぶって世俗で生きていきなさい。
文学研究にはそうしたことがすべて活きてくるのだから。
阮籍は、年を取ってからもう一度やってみるとよい、
今よりももっと様々なことがわかるようになっているだろう。

文学研究は、決して対象に自己を投影するものではありません。

ですが、そこには否応なく、それを論ずる人の生きた証しがあらわれる。
それを恐れて、通り一遍のことを論じてしまうようでは、
その作品と向き合ったことにはならない。
古人の言葉に耳を傾け、何を言おうとしているのか考え抜き、
そうして現れ出てくるものは、
自分の予想を越えた姿をしているかもしれないが、
それでこそ、人に向けて差し出すに足る論文たり得るのではないか。

先生がおっしゃったのはこういうことだったのではないかと思います。

それではまた。

2019年6月18日