神仙と覇王

今日も昨日の続きです。
曹植「駆車篇」には、仙界へ赴く黄帝が詠じられていました。

では、神仙を詠ずる遊仙詩の類に、黄帝はよく登場するのでしょうか。
曹植の「仙人篇」には、次のとおり見えています。

不見軒轅氏  見よ、黄帝軒轅氏が、
乗竜出鼎湖  竜に乗って鼎湖から飛び立った。
徘徊九天上  遥かな上空、九天の上を行きつ戻りつしながら、
与爾長相須  「君のことをいつまでも待っているよ」と告げて。

しかし、現存する先秦漢魏晋南北朝の詩歌を縦覧する限り、*
黄帝と神仙の双方に言及する詩は、
晋・曹毗「黄帝賛」(『藝文類聚』巻11)、
梁・劉緩「遊仙」(『文苑英華』巻225)が目に留まるくらいです。

そうした中、曹植に前掲の二作品があるのは突出しています。
これはどういうことでしょうか。

ふと想起されたのは、
曹操「駕六竜・気出倡」(『宋書』巻21・楽志三)に、
六頭の竜が引く車に乗って、仙界を歴遊する王者が詠じられていたことです。

この曹操の楽府詩には、黄帝軒轅氏の名こそ見えていませんが、
一篇の詩の中に、天下を統べる王者を象徴する「駕六竜」といった句が、
「泰山」「仙人玉女」「赤松」「驂駕白鹿」等々の語句と同居しているところに、
神仙となって飛翔する黄帝の姿が二重映しとなっているように感じられてなりません。

2025年12月7日

*逯欽立『先秦漢魏晋南北朝詩』(中華書局、1983年)に基づくデータベース『先秦漢魏晋南北朝詩』(凱希メディアサービス・雕龍全文検索閲読器)を用いて検索。