第一古詩群の最後のピース

こんばんは。

別格扱いの古詩群(第一古詩群)を構成する作品のうち、未詳であった最後の一首は、
「迴車駕言邁」詩(『文選』巻29所収「古詩十九首」其十一)であろうと昨日推定しました。
まず、その詩の全文を、通釈とともに示せば次のとおりです。

01 迴車駕言邁  向かう先をぐるりと転じて馬車を走らせ、
02 悠悠渉長道  長く伸びる道をはるばると経てゆく。
03 四顧何茫茫  四方を眺め渡せば、なんという茫漠たる草原、
04 東風揺百草  東方から吹いてくる風が、百の草を揺らしている。
05 所遇無故物  出会うものすべてに、もとのままの物はないのだから、
06 焉得不速老  みるみる老いてゆくことをどうして止められよう。
07 盛衰各有時  栄枯盛衰にはそれぞれ時機というものがあるけれど、
08 立身苦不早  身を立てるのに遅れを取っていることがつらい。
09 人生非金石  人の命は金石ではないのだから、
10 豈能長寿考  どうして長寿を得ることなどできようか。
11 奄忽随物化  あっという間に万物とともに化して死に至るのなら、
12 栄名以為宝  せめて死後に残る栄誉や名声を宝としよう。

このうち、まず注目したいのは、第9句「人生非金石(人生は金石に非ず)」です。
類似する表現が、第一古詩群に属する別の詩に、次のとおり見えています。*1

『文選』巻29「古詩十九首」其四「今日良宴会」に、
  「人生寄一世、奄忽若飆塵(人生 一世に寄りて、奄忽として飆塵の若(ごと)し)」と。

同其三「青青陵上柏」に、
  「人生天地間、忽如遠行客(人 天地の間に生くること、忽として遠行の客の如し)」と。

同其十三「駆車上東門」に、
  「人生忽如寄、寿無金石固(人生 忽として寄るが如く、寿に金石の固き無し)」と。

前掲「迴車駕言邁」詩の第9句は、これらの古詩と重なり合う部分を持っています。
第一に、「人生」という語を、上記の三首すべてと共有しています。
また、「金石」という語は、上記の其十三にも見えていて、用いる文脈もよく似ています。

「迴車駕言邁」詩の第11句に見える「奄忽」も注目に値します。
この語は、上記の其四詩にも用いられている、洛陽を含む地域一帯の方言です。*2

実は、上記の三首は、第一古詩群のうち、最も遅れて成ったと見られる作品です。
それらの古詩と、複数の点でつながりを持っている「迴車駕言邁」詩は、
第一古詩群の、この諸篇に連なる系列のものである可能性が高いと判断できます。

昨日は、『文選』における作品配列という観点から、
第一古詩群を構成する最後の1ピースをこの詩と推定したのでしたが、
内容面から見ても、この推定は一定の妥当性を持っていると言えるでしょう。

なお、許文雨『文論講疏』(正中書局、1937年)は、
陸機の「遨遊出西城詩」(『藝文類聚』巻28)を「迴車駕言邁」詩の模擬詩と判断した上で、
この古詩を、未詳であった十四首目の伝枚乗作の古詩(第一古詩群)と推定しています。
「辞気」を根拠とする推論に、これまでその当否の判断を保留にしてきましたが、
改めてここに、許文雨氏の慧眼に敬意を表したいと思います。

2021年7月8日

*1 第一古詩群に属する作品の通釈を、拙著『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)から抜き書きしてまとめたものがこちらです。ご参照いただければ幸いです。
*2 前掲『漢代五言詩歌史の研究』第二章第一節第一項「第一古詩群に属する詩の分類」を参照。