舜の孝行と農耕(承前)
先にこちらやこちらに述べたことについて、
同様のことを指摘する先人の論があったので追記します。
それは、金岡照光『敦煌の文学文献』(大東出版社、1990年)所収
「孝行譚―「舜子変」と「董永伝」」中の「舜孝子伝の原型と構成要素」です。
この論著のp.496に、
『史記』五帝本紀に見える舜の記事が腑分けされた上で、
それらの要素に論究する、青木正児の次のような所論*が紹介されています。
これらは帝堯、帝舜の禅譲と、直接関連なき、親子の間の物語である。青木博士は、こうした物語と、歴山、河浜、雷沢等で農漁業に従事する話は、民間伝説を採用したものではないかと疑っておられる。……
続いて、『孟子』万章上に記された舜の親子関係に触れる記事を挙げ、
その中の、舜の親が子に殺意を持つ二つのエピソードが『史記』にも見えることから、
舜説話の原型に、すでにこの物語は含まれていたと考えることが可能だとされ、
更にこうも述べておられます。
『孟子』のこの部分の記述が、『孟子』の他の文とちがって、古い佚文を反映しているのではないかという疑が、すでに先学によって指摘されている。
(ここにいう「先学」とは、先にも引用されていた青木正児です。)
更に、如上の具体的な検討を通して、次のような見通しが導き出されています。
そもそも孝子説話は、親子関係という本来人間的な関係に発しているものであるため、経史書の伝承とは別に、むしろ民間において流布せる孝子説話の伝承をこそ、重視しなければならないものであろう。
これで霧が晴れました。
曹植「鼙舞歌・霊芝篇」の中に民間文芸が埋もれているとの仮説、
その方向に向かっていくことができると確信しました。
2024年12月13日
*青木正児「堯舜伝説の構成」(脱稿は1926年11月27日。初出は雑誌『支那学』第四巻第二号。『青木正児全集第二巻』(春秋社、1970年)所収『支那文学芸術考』(弘文堂、1942年)に収載)を参照。