花をつける果樹

こんばんは。

公開講座が近づいてきたので、
そろそろ本腰を入れて準備をしようと、
白居易の詩から、気になっていたものを拾い上げました。

そのひとつが、「東坡種花」(『白氏文集』巻11、0548)です。*1

この詩は、忠州(四川省)城東の土手に、花の木を植えたことを詠ずるものですが、
一見、何の変哲もない、日常的な美意識の産物のように読めてしまいます。
けれども、この行為を唐代という時代の中に置いてみた場合、
それはかなり酔狂なものであったと判断されます。

まず、この時代、桃・杏・梅といった美しい花を咲かせる果樹でさえも、
その果実が食べられるということこそが重視されました。
白居易がその原型を作った類書(百科全書)『白氏六帖』においても、
これらの植物は、美しさを愛でる花、という概念で項目立てられてはいません。

加えて、『唐律疏議』巻26には、次のような記事が見えています。

諸侵巷街・阡陌者、杖七十。若種植墾食者、笞五十。各令復故。
雖種植、無所妨廃者、不坐。

  諸々の小道やあぜ道を侵食した者は、杖で七十回たたき、
  もし植物を植えて、食べ物を耕作したならば、笞打ち五十回、
  それぞれもとの状態に戻させる。
  植物を植えても、(国家の)妨害とならないなら、罪には問わない。

ここから窺えるのは、
唐代において、植物の栽培は、まず食物を得るためであったということです。
公共の場で勝手に食物を栽培すれば、農業国家の根幹を崩壊させてしまうでしょう。
だから、こうした行為が罪に問われたのだと思われます。

一方、白居易の果樹栽培は、花を愛でることを主眼としています。
彼は世間の外にある風流な世界に遊ぼうとしているのです。
彼は本詩の中でこう詠じています。

但購有花者  ただ花をつけるものという目安でのみ購入し、
不限桃杏梅  必ずしも桃・杏・梅といった種類にはこだわらなかった。

この言い方は、明らかに当時の一般的社会通念を意識しています。
彼は世間に対して、何気なく直角に向かい合う立場を取っているのです。

本詩は、白居易が忠州刺史を務めていた元和十五年(820)に作られました。
当時彼は49歳、足掛け六年にわたる謫居生活が、まもなく終わるという時期です。*2

2021年9月7日

*1 岡村繁『白氏文集 二下』(明治書院・新釈漢文大系、2007年)p.680―681。
*2 花房英樹『白氏文集の批判的研究』(彙文堂書店、1960年)「綜合作品表」p.519を参照。