若い建安詩人たち
こんばんは。
馬齢を重ねて還暦もとうに過ぎ、
身体(脳という臓器も含めて)の衰退を日々痛切に感じる一方、
たまに、若い時にはなかった余裕(諦観)でものごとを受け流せたりして、
脱力できる老いも悪くないと思うこともあります。
それで、ふと振り返ってみれば、
日々考察している曹植をはじめとする建安詩人たちは、
みな、この老いるという感覚を知らないうちに亡くなっているのですね。
曹植(192-232)は41歳、その兄の曹丕(187-226)は40歳、
建安七子の筆頭、王粲(177-217)も41歳、
やや先輩格の阮瑀(165?-212)や徐幹(170?-217?)は48歳前後、
陳琳、応瑒、劉楨はみな、生年は未詳、没年は揃って疫病の蔓延した217年で、
おそらくは王粲らとそれほど違わない年齢だったのではないでしょうか。
なお、孔融(153-208)だけは56歳の生涯で、
経歴上も、他の建安七子とは別の立ち位置にあるようです。
なんとなく自分よりも年上だと思っていた文人たちが、こんなにも若い。
その事実に虚を突かれました。
鈴木修次『漢魏詩の研究』(大修館書店、1967年)p.680には、
建安詩を「新しい時代を生み出そうとする青年の文学」だと表現しています。
そして、それは「生理年齢における青年期」ではなく「精神年齢」なのだと言っています。
ですが、実際の年齢が、彼らの文学のあり様に枠を与えたようなところはないでしょうか。
どんな人間であれ、時を重ねれば必ず見えてくるものがある、とは言いません。
けれども逆に、どんなに優れた才能を持つ人物であったとしても、
時を経なければ感得できないものはあると思います。
建安詩人のほとんどは、そのような年齢に達する前に没しました。
そして、その死の直前まで、時に緊張感の走る環境の中でしのぎを削っていました。
その結果が、鈴木前掲書にいう、激情のほとばしる、荒削りの作風ということなのでしょう。
このような年齢構成の文人集団は、他にあったでしょうか。
以前、中唐の詩人たちの没した年齢について見てみたことがありますが、
白居易75歳、元稹53歳、崔玄亮66歳、劉禹錫71歳、
韓愈57歳、柳宗元47歳、李賀27歳、孟郊64歳、杜牧51歳といった年齢でした。
少し前の盛唐の人々では、孟浩然が52歳、王維が61歳、李白が62歳、杜甫が59歳です。
建安文壇の人々は、もしかしたら年齢から見ても、突出した文人集団だったのかもしれません。
(いや、自分が知らないだけで、他にもあったかもしれません。)
2021年7月21日