荀勗の仕事
こんばんは。
曹植の「七哀詩」を、西晋王朝の宮廷歌曲「怨詩行」にアレンジした荀勗。
今、その彼が宮廷儀式のために作った歌辞を読んでいます。
もっとも、『宋書』楽志一・二では、彼単独の作とは記されていません。
初唐に成った『晋書』の楽志上には、荀勗の名が明記されています。
初唐までは、具体的な詳細を記す資料が伝存していたのでしょうか。
その『晋書』を、北宋末の『楽府詩集』が踏襲しているようです。
昨日言及した拙論の中で、荀勗が権力の中枢に居座って何をしたかを書きましたが、
そんな彼が、儒家的な仁徳を備えた君主の美質を歌いあげています。
仕事だと、自身から乖離したことも書けてしまうのでしょうか。
当時の儒家的な思想類型に収まっているので、
歌辞の意味が取れなくて困ることはほとんどありません。
一方、古典を踏まえた表現(ほぼ引用)が無秩序に埋め込まれていて、
しかもそれがアンバランスな配置なので、どこにそれが隠れているかが読めません。
たとえば、ひと連なりの二句の、片方には経書からの引用、片方にはそれが無いといったような。
荀勗は詩作が下手なんだろうか、と疑いたくなるような印象です。
2020年8月26日