蘇武詩を踏まえた魏の詩
こんにちは。
応瑒「闘鶏詩」をきっかけに、「兄弟」という語を含む漢魏の詩歌を検索していて、
郭遐周という人の「贈嵆康詩三首」其三のある辞句に目が留まりました。*1
本詩の初めから6句を以下に示します。
離別自古有 離別は古来あるものだ。
人非比目魚 人は比目の魚ではないのだから。
君子不懐土 君子は土地にしがみついたりはしないものだ。
豈更得安居 どうしてこれ以上安穏とした暮らしをむさぼるものか。
四海皆兄弟 四海の内はみな兄弟だという。
何患無彼姝 かの忠義の人がいないなどと何の心配をすることがあろうか。*2
注目されたいのは、この第5句「四海は皆兄弟なり」です。
というのは、同一句が『文選』巻29、蘇武「詩四首」其一に見えているから。
この辞句は、『論語』顔淵篇に、
子夏が司馬牛を慰めて言う次の部分を踏まえています。
死生有命、富貴在天。
君子敬而無失、与人恭而有礼、四海之内、皆為兄弟也。
君子何患乎無兄弟也。
死生には運命というものがあり、富貴を決めるのは天である。
君子は敬虔な姿勢で落ち度がないようにし、人に対して恭順で礼儀正しくすれば、
世界中の人々は、みな兄弟となるのだ。
君子は、兄弟がいないなどと何の心配をすることがあろうか。
郭遐周の詩は、「四海皆兄弟」に続く「何患無○○」も、前掲の『論語』を踏まえています。
また、その三句目「君子不懐土」も、『論語』里仁篇にいう、
「君子懐徳、小人懐土(君子は徳を懐ひ、小人は土を懐ふ)」をひねったものです。
ですから、「四海皆兄弟」の典拠として、『論語』が真っ先に挙げられるのは当然でしょう。*3
それでも、郭遐周の詩は八割がた、蘇武詩を念頭に置いているだろうと私は判断します。
なぜならば、この詩が離別を詠ずるものだからです。
前掲の『論語』顔淵篇には、この要素がありません。
他方、蘇武の詩は、李陵との離別を背景に設定して作られたものです。
(実際に蘇武が作ったわけではないことは、今は措いておきます。)
郭遐周は、嵆康との別れに際して、
蘇武が李陵に送った別れの詩を踏まえた詩を贈ったのでしょう。
2021年5月1日
*1 引用は、『詩紀』巻18所収テキストに拠った。
*2 『毛詩』鄘風「干旄」に「彼姝者子、何以畀之(彼の姝なる者は子、何を以てか之に畀(あた)へん」、毛伝に「姝、順貌。畀、予也」、鄭箋に「時賢者既説此卿大夫有忠順之徳、又欲以善道与之。心誠愛厚之至(時に賢者は既に此の卿大夫の忠順の徳を有するを説(よろこ)び、又善道を以て之に与へんと欲す。心は誠に愛は厚きの至れるものなり)」と。戴明揚『嵆康集校注』(中華書局、2014年)p.97の語釈に導かれた。
*3 前掲の戴明揚『嵆康集校注』p.97に、“『論語』:「子夏曰:『四海之内、皆兄弟也。』”と。