複雑な心情表現

こんばんは。

学部の演習科目の授業では、
毎回の内容について、質問を書いてもらうことにしています。

今日、それをまとめていて思わず立ち止まったのは、
二重否定や反語などを使った表現について、
これだとわかりにくい、
相手に伝わらないのではないか、
といった感想が少なからずあったことでした。

人は、笑いの裏で涙を流すこともあるし、
強い否定が、それへの愛着を秘めていることもあるのに。
そして、屈折する言葉によってしか表現できない心情もあるのに。

高校の時からプレゼンテーションのノウハウを学ぶためか、
この何年間か、急にこうした感想が目立つようになってきました。
学生の発表について相互にコメントしあう場合も、
圧倒的に多い誉め言葉は、「わかりやすかった」「伝わった」です。

わかりにくいことが、そのまま価値を持つとは思いませんが、
自分でも模索しているときの言葉は、様々に屈曲してストレートにはいきません。
そのような模索を経た後に、それを相手に伝わるように表現するのです。

複雑な感情表現を持つ作品をまるごと受け留めた後に、
分析し、その結果を、第三者から見てもわかるように論述するのです。

わかりやすい、という言葉が独り歩きする世界も、
人に伝えるつもりのない表現が裸の王様のようにのし歩く世界も、
あまり居心地がよいようには思えません。

2022年5月18日