西晋宮廷歌曲と曹植
こんばんは。
本日、曹植「与陳琳書」の訳注稿を公開しました。
この断片的書簡文に着目したのは、
『宋書』楽志二を読んでいる研究会の中で、
成公綏による西晋王朝の「雅楽正旦大会行礼詩」に、
この曹植の文章が踏まえられている可能性が指摘されたからです。
成公綏の当該歌辞で、曹植のこの書簡の影響が認められる部分は以下のとおりです。
登崑崙 上增城 崑崙山に登り、その一角にある増城に上って、
乘飛龍 升泰清 飛ぶ龍に乗り、天空に駆け上る。
冠日月 佩五星 日月を冠とし、五星を身に帯びて、
揚虹蜺 建彗旌 虹を掲げ、彗星の旗を立てる。
披慶雲 蔭繁榮 慶雲を敷き広げ、繁茂する草木を恵みで被いつつ、
覽八極 游天庭 世界の果てまでも見て回り、天帝の宮殿に遊ぶ。
この一節は『楚辞』の影響が濃厚な部分ですが、
「日月を冠し、五星を佩び、虹蜺を揚げて、彗旌を建つ」は、
『楚辞』の中にも明らかにそれとわかる出典を見出すことはできませんでした。
ところが、曹植の「与陳琳書」には、これと非常によく似た発想の辞句が並んでいます。
この林香奈氏のご指摘に、目の前がぱあーっと明るくなりました。
これに限らず、西晋王朝の宮廷歌曲の歌辞には、
曹植作品の表現が、かなり多く用いられていることが確認されています。
西晋の宮廷歌曲の歌辞を作った人々は、
なぜ曹植の言葉をこれほどまでに多く用いているのでしょうか。
すぐには解明できないにせよ、この疑問符を頭の片隅に置いておこうと思います。
2021年5月14日