解釈を読者に委ねる詩
こんにちは。
過日、こちらで述べたことの続きです。
前途が見えないと嘆く元和14年の元稹に対しても(その様子を思い浮かべながら)、
前途が開けるに違いないと詠う長慶3年の元稹詩に答えるときも、
白居易は等しく、官界での窮達に一喜一憂することの無意味さを説いていました。
これだけ見ると、白居易は悟りきった超俗の人のように感じられますが、
実際にはそんな風に美化することはできないと思います。
たとえば元和15年(820)、忠州刺史から司門員外郎として都に戻る途上、
彼は「宿渓翁(渓翁に宿す)」(『白氏文集』巻11、0565)と題するこんな詩を詠んでいます。
衆心愛金玉 大衆の心は金銀財宝を愛し、
衆口貪酒肉 大衆の口は酒や肉を貪るものだ。
何此渓上翁 ところが、なんとこの渓谷の畔の翁は、
飲瓢亦自足 瓢で水を飲むような質素な暮らしにも自ら満足している。
渓南刈薪草 渓谷の南で芝刈りをし、
渓北修牆屋 渓谷の北で庵を修理し、
歳種一頃田 一年に一頃の田を耕し、
春駆両黄犢 春には二頭の黄色い仔牛を追いたてる。
於中甚安適 彼の心の中は非常に安定して満ち足りた状態で、
此外無営欲 これ以外には何も欲というものを持っていない。
渓畔偶相逢 私は渓谷の畔でたまたまこの翁と出会い、
庵中遂同粥 かくして彼の庵の中で同じ粥をすすったのであった。
辞翁向朝市 翁に別れを告げ、賑やかな都へ赴こうとした時、
問我何官禄 彼は私に向かって「何という官禄をもらうのかい」と聞いてきた。
虚言笑殺翁 そこで、私はこう大言壮語して翁を大笑いさせたのである。
郎官応列宿 「郎官は、天空に居並ぶ星座に対応する、輝かしい公職なのですよ」と。
白居易は、山中でつつましい生計を営んでいる翁を敬愛しつつも、
自身が拝命した官職のことを、いかにも嬉しそうに、誇らしげに語って聞かせています。
それで、彼はまったく、愛すべき俗人だ、と思ったのです。
ただ、この翁に対する大言壮語をどう見るか。
もしかしたら、山中の翁を相手にこんなホラが吹けるほど、
官僚社会における窮達を相対化して見ていた、とも考え得るかもしれません。
大真面目に「拝命する」よりも、浮世の戯れと捉えていたのだ、と。
こうなると、解釈は読者に委ねられるのでしょう。
読む人によって、読む時々によって、鏡のように映す姿を変える詩があります。
2021年1月28日