言葉にはできない

こんばんは。

白居易と元稹との交往詩を読んでいる演習の授業で、
今日は、白居易「寄微之」*1に応酬した、元稹「酬楽天歎損傷見寄」*2を読みました。

通州司馬から虢州長史に遷った元稹を元気づけようとする白居易詩に対して、
元稹は次のような詩を返しています。

前途何在転茫茫  前途は何(いづ)くにか在る 転(うた)た茫茫たり
漸老那能不自傷  漸く老いては 那(なん)ぞ能く自ら傷まざらん
病為怕風多睡月  病みては 風を怕るるが為に 多く月に睡(ねむ)り
起因行薬暫扶床  起きては 行薬に因りて 暫(しば)し床に扶(よ)る
函関気索迷真侶  函関 気 索(さび)しくして 真侶を迷はしめ
峡水波翻礙故郷  峡水 波 翻りて 故郷を礙(さまた)ぐ
唯有秋来両行涙  唯だ 秋来 両行の涙有り
対君新贈遠詩章  君に対して新たに贈る 遠き詩章

なんとも唐突に感じられるのは、最後から2行目、
「ただ、秋よりこのかた、二筋の涙が流れているばかり」という句です。

この時、元和十四年の秋、元稹は幼い娘を亡くしています。
そのことが背景としてあっての涙なのでしょうか。*3

しかし元稹は詩中でそのことに一言も触れていません。
心身ともにひどく憔悴している自身の近況を詠じているばかりです。
相手の詩に酬いるのに、娘の夭折を詠ずるわけにはいかなかったのかもしれません。

その後、このことを告げる詩なり書簡なりを白居易に送ったのでしょうか。
それが「君に向けて、新しく送る、遠方からの詩篇」でしょうか。
それとも「遠詩章」とは、この応酬詩をいうのでしょうか。

ちょっとはっきりとは読み取れません。

ただひとつ思ったのは、心の中で一番大きな部分を占めていることは、
とりわけそれがつらくて悲しいものである場合は、
すぐに言葉にはできないものなのかもしれないということです。

本人も敢えて触れないでいることに、
他人が踏み込んで、勝手な憶測をするなんて罪深いことなのかもしれません。

なお、演習の授業方法を変えようかと考えていましたが、
少なくともあと一年間は、この罪深い考察を続けてみることにします。

2020年12月17日

*1 白居易「微之に寄す」(『白氏文集』巻18、1144)
*2 元稹「楽天が損傷を歎じて寄せらるるに酬ゆ」(『元氏長慶集』巻21)
*3 呉偉斌輯佚編年箋注『新編元稹集』(三秦出版社、2015年)p.4897~4898は、本詩を娘の夭折より前の作だとしている。本詩は元稹自身の不幸を詠ずるばかりで、娘の夭折に対する感情を詠じていないというのがその理由である。