言葉のリレー

昨日、思わず引用した「絶望の虚妄なること、まさに希望と相同じ」は、
魯迅の散文詩集『野草』に収録された「希望」(1925年1月1日)からの言葉です。

絶望之為虚妄、正与希望相同。

この語が、ハンガリーの詩人Petofi Sandor(ペテーフィ・シャーンドル) に由来することは、
詩の本文においても作者自らが記しているところですが、

『魯迅全集』第2巻(人民文学出版社、1981年)p.179の注釈により、※
彼が友人(凱雷尼・弗里傑什)に宛てた書簡の中に、この趣旨の言葉が見えることを知りました。

この東欧の詩人であり革命家であるペテーフィ(1823―1849)の言葉に、
中国が近代に突入する時代を、戦いつつ切り開いた魯迅(1881―1936)が深く共鳴した、
だからこそ、魯迅はその散文詩の一隅にペテーフィの言葉を引用したのでしょう。

そして、現代の私たちは、ペテーフィや魯迅をそれほど深く知らなくても、
各自の境遇の中で、この言葉はまさしく自分に向けられたものだ、とばかりに受け留めています。

このような言葉のリレーはもちろん古い時代にもあって、
(というより、魯迅はこうした中国文学の大きな流れの上に登場したとも言えます。)
人から人へ、言葉が手渡され、広がっていく筋道を丁寧にたどることこそが、
真の文学史研究なのだと私は考えています。

それではまた。

2020年2月11日

※魯迅や近代文学の研究分野では、この後も陸続と研究書等が出ているかと思います。