記憶の中の情景を詠じた詩
『文選』巻26に「赴洛」と題する陸機の詩が二首採られています。
その一首目に、李善が多く曹植詩を挙げていることに目が留まりました。
その詩の本文は次のとおりです。
01 希世無高符 世間並みの出世を望んでも幸運に恵まれず
02 営道無烈心 修行を積んで道を修めるにも志を貫き通す強い心がない
03 靖端粛有命 そこで謹んで君命を奉り
04 假楫越江潭 舟楫を借り受けて長江の深みを越えてゆくことになった
05 親友贈予邁 親友は私の旅立ちにはなむけを贈り
06 揮涙広川陰 広大な川の南岸で涙を揮って見送ってくれた
07 撫膺解携手 胸をさすって携えた手をほどき
08 永歎結遺音 いつまでも歎きながら別れを惜しむ言葉を交わした
09 無迹有所匿 やがて足跡はかき消され
10 寂漠声必沈 ひっそりと声も聞こえなくなるに違いない
11 肆目眇弗及 目の届く限り視線を伸ばしてみても遥かな彼方へは届かず
12 緬然若双潜 はるばると隔たって双方ともかすみの中に潜ったかのようだ
13 南望泣玄渚 南の方を遠く望んで黒々とした色に沈む長江の渚に涙を流し
14 北邁渉長林 北の方へ進路を取ってどこまでも続く樹海を渉ってゆく
15 谷風拂修薄 暖かな春風は長く伸びた草の茂みをなびかせ
16 油雲翳高岑 湧き起る雲は聳え立つ峰に濃い影を落としている
17 亹亹孤獣騁 群れを外れた獣が風を切って走り去り
18 嚶嚶思鳥吟 連れ合いを求める鳥は和やかに鳴き交わしている
19 感物恋堂室 季節の風物に心を揺り動かされて母や妻のことが恋しくなる
20 離思一何深 離別の寂しさのなんと心にこたえることか
21 佇立愾我歎 いつまでも立ち尽くして我が歎きに身をゆだね
22 寤寐涕盈衿 寝ても覚めても涙が襟に満ち溢れる
23 惜無懐帰志 だが残念なことに帰る気持ちを抱くわけにはいかない
24 辛苦誰為心 この辛さに誰が心安らかでいられよう
以上の詩について、李善注は三箇所で曹植詩の影響を指摘しています。
8句目「永歎結遺音(永歎して遺音を結ぶ)」について、
曹植「雑詩六首」其一にいう「翹思慕遠人、願欲托遺音」を挙げ、
17句目「亹亹孤獣騁(亹亹として孤獣は騁す)」について、
曹植「贈白馬王彪」にいう「孤獣走索群(孤獣は走りて群を索(もと)む)」を挙げ、
20句目「離思一何深(離思 一に何ぞ深き)」について、
曹植に同一句(佚句)があることを示しています。
李善注に引く「集」(陸機の別集)によると、
本詩が成ったのは、陸機が太子洗馬に赴任した時だといいます。
それは西晋の元康元年(291)、陸機の西晋入りから2年後のことであって、
彼はすでに張華とも親交を深めていますし、賈謐の二十四友にも名を連ねています。
ですから、曹植作品に触れる機会は少なからずあったでしょう。
(もっとも在呉時代の陸機がその機会に恵まれなかったとは限りません。)
以上のことは、本詩の内容やその題名と食い違います。
「赴洛」詩は、陸機が祖国呉を離れて洛陽へ赴いた時の作ではなくて、
記憶の中にある故郷を離れた時の情景を、後から思い起こして詠じたものだったのです。
このことに、今日はじめて思い至りました。
以前、彼の「擬庭中有奇樹」と本詩とを関連付けて論じたことがありますが、*
その時は、洛陽へ向かう途上で作られたと思い込んでいました。
ここに訂正します。
2026年1月14日
*『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)p.469