誉め言葉の真意は?

昨日の話に関連して。

二十歳で弑された高貴郷公曹髦は、
幼少の頃から学問を好んで早熟であったといいます。
『三国志』三少帝紀にそう記すばかりか、
その裴松之注に引く『魏氏春秋』にも、次のような記述が見えています。

公神明爽儁、徳音宣朗。
罷朝、景王私曰、「上何如主也。」
鍾会対曰、「才同陳思、武類太祖。」
景王曰、「若如卿言、社稷之福也。」

高貴郷公は並外れて聡明で颯爽としており、言葉は明瞭でよく通る声をしていた。
朝廷から退出して、司馬師(晋の景帝)がひそかに問うた。
「お上はどのような君主でいらっしゃるか。」
鍾会が答えて言った。
「才能は陳思王曹植に等しく、武勇は武帝曹操に類するものがあります。」
司馬師は言った。
「もし君の言うとおりなら、国家にとっての幸福だ。」

この司馬師と鍾会との会話は、
一見、年若い聡明な新皇帝をほめたたえる嘉話のように読めます。
ですが、なにか不穏なものを感じるのは、
今の時点から、鍾会という人の所業が見えているからです。

鍾会は、司馬氏にとって不都合な人物たちを追い落としていきました。*
竹林七賢の主要メンバーの一人、嵆康を死に追いやり、
また、嵆康の畏友、阮籍に対しては、
執拗な問いかけによって罠にかけようとしました。

そんな人物が発した上記の言葉を、文字どおりに受け止めてよいものか。

また、鍾会から曹髦の人物評価を聞き出した司馬師は、
自らの権力拡大を阻もうとする人々を次々と制圧していった人間です。

二人が交わした言葉の真意がわかりません。

それではまた。

2019年9月10日

*大上正美「鍾会論」(大上正美『阮籍・嵆康の文学』創文社、2000年。初出は『青山学院大学文学部紀要』第30号、1989年)は、鍾会という人間の根っこに、自身が思想家的な要素を持ちながら、本物の思想家を前にしては屈せざるを得ないコンプレックスがあるのではないかと論じています。