語る神女:曹植「洛神賦」
先日、地域の図書館との連携公開講座で、
曹植「洛神賦」(『文選』巻19)を取り上げました。
その準備をする中で、非常に驚かされたのが次のような表現です。
それは作品の終盤、神女が「吾」すなわち「君王」に対して言う科白、
(以下はあくまでも現時点での試訳です。)
恨人神之道殊兮 残念なことに、人と神とは道が異なっています。
怨盛年之莫当 若い時にあなたに出会えなかったことを怨みに思います。
また、その後に見える次のような科白です。
悼良会之永絶兮 わたくしはこのよき逢瀬が永遠に途絶えることを悼み、
哀一逝而異郷 一たび立ち去れば各々異なる世界に住むことが哀しくてなりません。
無微情以効愛兮 ささやかな情ではわたくしのこの愛を述べ尽くすことはできないから、
献江南之明璫 せめて江南の真珠の耳飾りをお贈りします。
雖潜処於太陰 わたくしは鬼神の世界にひっそりと住んではいても、
長寄心於君王 いつまでもあなた様に心を寄せております。
以上に示した部分は、実は地の文と科白との境界線が明瞭ではなく、
これらの言葉がすべて、神女の口から発せられたものだとは言い切れないところがあります。
それでも、「長く心を君王に寄す」は、たしかに神女の言葉だと判断されるでしょう。
また、ここにいう「君王」は、本作品の初めの部分にも見える語で、
そこでは、「京域より東藩に帰る」「余」に対して、御者が語りかけている敬称です。
すると、ここに心を寄せられている「君王」も、同じ人物と見てよいでしょう。
神女の口から零れ落ちるこれらの言葉の生々しさに驚きました。
こうした表現は、過去の、あるいは同時代の作品にも認められるのでしょうか。
まず、本作品が踏まえたと明言する宋玉「神女賦」(『文選』巻19)を縦覧するに、
宋玉の描く神女は、このように自身の胸の内を打ち明けたりはしていません。
思わせぶりな様子を見せながら、結局つれない態度を取るばかりです。
では、この系統の、他の作品ではどうなのでしょうか。
(続く)
2023年11月30日