読む速度と気づき

こんばんは。

一年前の雑記を読み返してみたら、
ほとんど書いたことを忘れてしまっているようなものばかりでした。
顧みられないまま、放り出されているメモ書きの散乱。
思いついたことを書き留めるだけではなくて、
それらを時々読み返し、そこから更に気づいたことを調べていけば、
別の機会に書いたことと結びついて、育っていくのではないかと思いました。

それはともかく、一年前はまだ丁晏『曹集詮評』を毎日入力していたのでした。
(校勘記を入れた上で、その成果はいずれ公開したいと考えています。)

今のような便利な時代に、今更ながらの作業をやっていたのですが、
それはそれで、何かしらの拾い物をしていました。

ところが、最近はさっぱりです。
たぶん、曹植作品の訳注作業ばかりになっているからでしょう。
これが、なかなか進まない、地を這うような作業で、
こうした地味な仕事が必要不可欠なものであることは当然としても、
この速度、この至近距離から見えるものは、
たとえば、作品本文を入力するスピードで感じるものとは当然違ってきます。

ひとつの速度、ひとつの距離感では、頭が膠着してしまう。
といって、授業がある間は、訳注作業を継続するだけで手一杯です。
せめて、一点注視にならないように、ということを心にとめておこうと思います。

2020年12月24日