論拠とベクトル

こんばんは。

今日、研究生に向けての授業で、次のような話をしました。

古詩(漢代詠み人知らずの五言詩)の中には別格の一群がある。
その一群の存在に着目すれば、古詩の成立年代を推定することができる。*

このたった2行に尽きるベクトルの上に、
具体的な根拠と、そこから導き出される結論を述べようとすれば、
かなり刈り込んでも、90分1コマの時間が必要です。

それで、研究というものは、論拠がすべてなのだと気づかされました。
どんな論者であっても、根拠なくして、人にその所論を納得してもらうことはできません。
この点、学問は本来的に非常にフラットな世界なのだと私は思います。

また、自分が論文の読者である場合は、
列挙された論拠に目を奪われるばかりではなく、
その底を貫いて走るベクトルを的確にキャッチできる人でありたいと思いました。

誤読されると、それを論じた人は寂しさを感じるでしょう。
(この点、同じ言葉で書かれていても、詩や小説といった文学作品とは異なっているのでしょう。)

もちろん、その論旨をきちんと把握した上で、
そこから自由に着想を得、考察を展開するのは大歓迎されることだろうと思います。

2020年12月16日

こちらの著書№4の第一章、及び第二章の第一節で述べた内容です。