鎮魂歌としての「怨詩行」(4)

昨日の風の話の続きです。

曹植「七哀詩」から晋楽所奏「怨詩行」への改作で、
風にまつわる表現として、
「西南風」から「東北風」へ差し替えられていることは昨日述べました。
これに加えてもう一つ、「長逝入君懐」から「吹我入君懐」への改変があります。

「七哀詩」では、西南の風となった自身が、長い距離を飛んでいくのでしたが、
「怨詩行」では、東北の風が起こって、それが自分を吹き飛ばすことになっています。

では、なぜ「怨詩行」はこのように本辞を改めたのでしょうか。

「吹我入君懐」という表現は、曹植の楽府詩「吁嗟篇」を思い起こさせます。
『三国志』巻19「陳思王植伝」の裴松之注に、
彼が琴を奏でながら歌ったとして引かれるこの楽府詩は、
おおもとの根から離れ、昼夜となくひとり転がり続ける蓬(よもぎ)を詠じていますが、
その中に、このようなフレーズが見えています。

卒遇回風起  突然、吹き起こったつむじ風に巻き込まれ、
吹我入雲間  (つむじ風は)私を吹き飛ばして雲の中に投げ入れた。

同じテーマを詠ずる「雑詩六首」其二(『文選』巻29)にも、
「吁嗟篇」とほとんど同じ「吹我入雲中」という辞句が見えています。

「怨詩行」の改作者は、この楽府詩に曹植の生涯を色濃く重ね合わせるため、
「吁嗟篇」などに特徴的な表現を、この「怨詩行」に組み入れたのではないでしょうか。

この辞句の組み替えによって、
「怨詩行」は、曹丕と曹植との関係性を強く想起させることとなります。
そして、「高山柏」の「君」も「濁水泥」の「妾」もすでにこの世にはいない存在で、
その「濁水泥」から「高山柏」に向けて風が吹くのです。
これは、その死後も兄のことを思って彷徨する、曹植の魂を詠じているのではないでしょうか。

それではまた。

2019年9月19日