閨怨詩と『楚辞』

こんばんは。

曹植の「雑詩」には難解なものが多いですが、
『玉台新詠』巻2所収の「雑詩五首」其四(『曹集詮評』巻4では「閨情」)もまた、
語釈をどうしたものか苦慮することの多い作品です。
(一両日中には訳注稿を公開する予定)

何がそんなに難しいかというと、
本詩は一見ありふれた閨怨詩であるような風貌を備えていながら、
その表層を一枚めくれば、『楚辞』にも用いられている語句がちりばめられている、
ただし、それらの語は、一般に用いられている語でもあって、
必ずしも『楚辞』に由来する語だとは言えないため、
曹植自身が『楚辞』をどこまで意識しているのか、判断しづらいのです。

一度、『楚辞』のにおいを感じ取ると、
一篇すべてがそのようにしか思えなくなってしまうので危い。
で、そこは十分に自戒しながら読んだ結果、
やはりこの詩は、閨怨詩と『楚辞』とを重ねている、
孤閨を守る女性の寂しさと、君主に理解されなかった屈原の悲しみとを重ねている、
と見るのが妥当だろうと判断しました。
さらに、屈原が曹植だとして、楚の懐王は誰を指しているのかということも、
(こうした解釈のあり様を無化する見方は、今は措いておきます。)
かなり明確な根拠をもって比定することができそうです。
このことについては、また日を改めて述べます。

2020年7月9日