闘鶏の勝者

こんばんは。

昨日、曹植作品訳注稿の「05-04 闘鶏」を公開したのですが、
ひとつ、間違った解釈をしてしまっていたことに先ほど気づきました。
根拠となる文献を確認した上で、近日中に訂正をしますが、
なぜ誤ったかということをも含めて、ここに書き記しておきたいと思います。

間違っていたのは、一首の末尾の方にある「長鳴入青雲(長鳴して青雲に入る)」です。
私はこれを、戦いに負けた鶏が鳴き声を上げたのだと捉えていました。
というのは、本詩の語釈にも示したとおり、「入青雲」というフレーズが、
王粲や曹植の他の詩において、悲しげな鳴き声とともに詠じられていたからです。

また、この句に続く「扇翼独翺翔(翼を扇ぎて独り翺翔す)」に疑問を持ったからです。
鶏が空を飛び回ることはないだろう、とすると、これは想像上のことか、
それなら、負けた鶏の魂が空を飛翔しているのだろうか、
などと妄想に妄想を重ねていたのでした。

しかしながら、趙幼文は、『尸子』や『春秋左氏伝』襄公21年の杜預注に拠って、
闘鶏では、勝った者がまず鳴き声を上げるということを指摘しています。*
これに従うべきだと思い直しました。

仮に、長く鳴き声を上げて飛翔するものが鶏それ自体でないにせよ、
それが敗者の魂であるとは限らない、
勝者のそれかもしれないということに今気づきました。

ただ、そこはかとなく寂しさが漂うように感じるのはどこから来るのだろう。

2021年5月7日

*趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)p.2を参照。