阮籍「詠懐詩」と曹植詩

こんばんは。

昔のノートを見ていて拾い物をしました。
阮籍「詠懐詩」其六十四*と曹植「送応氏詩二首」其一との間に、
影響関係があるのではないかというメモ書きです。

まず阮籍詩の全文を示せば次のとおりです。

01 朝出上東門  朝に上東門を出て、
02 遥望首陽基  遥かに首陽山の麓を望む。
03 松柏鬱森沈  松柏は鬱蒼と繁茂し、
04 驪黄相与嬉  コウライウグイスは嬉しそうに鳴き交わしている。
05 逍遙九曲間  屈曲する黄河のほとりをのんびりとぶらつき、
06 徘徊欲何之  行きつ戻りつしてどこへ赴こうとするのか。
07 念我平居時  我が往年の日常を思えば、
08 鬱然思妖姫  憂悶が頭をもたげて妖姫が思われる。

第1・2句は、以前にも触れたように、漢魏詩には常套的なものです。
前掲の曹植「送応氏詩」の冒頭にも、類似する句が次のとおり見えています。
(曹植の本詩全体については、こちらの訳注稿をご覧ください。)

歩登北邙阪  歩みて北邙の阪を登り、
遥望洛陽山  遥かに洛陽の山を望む。

そして、それ以上に注目されるのは、阮籍詩の第7・8句に似た句が、
同じ曹植「送応氏詩二首」其一の結びにも、次のとおり見えていることです。

念我平常居  我が平常の居を念ひ、
気結不能言  気は結ぼれて言ふ能はず。

阮籍詩の第7句「念我平居時」は、
曹植詩の「念我平常居」とほとんど重なり合っています。

前掲の冒頭二句、そして結びの句が、揃ってこのように似ているのですから、
これは明らかに、阮籍が曹植詩を踏襲したと見てよいでしょう。

両詩とも同じように、
ひらけた場所から遠くを眺めやり、
眼下に広がる情景を描写した後に、
苦い思いとともに過去を振り返る、という構成を取っています。

阮籍詩にいう「妖姫」は、何を指しているのか未詳ですが、
この詩が、曹植「送応氏詩二首」其一を念頭に作られたものだとすると、
そこから解明への糸口が探し出せるかもしれません。

2021年4月18日

*作品の順次は、黄節『阮歩兵咏懐詩注』(中華書局、2008年)に拠った。