雑駁な李陵・蘇武の詩 附:特別な古詩群

昨日、かなり強気に押した拙著『漢代五言詩歌史の研究』ですが、
今日も少しばかり宣伝したいと思います。
(こちらに、その目次部分のみの原稿を挙げておきます。)

この本の一番の眼目は、
古詩と総称される漢代詠み人知らずの五言詩群について、
従来不明であった、その生成と展開の経緯を明らかにしたところにあります。

古詩の中には、早期から別格視されてきた一群があることを指摘し、
この特別な一群(第一古詩群と仮称)の内部を腑分けして、
原初的な古詩群、最も遅れて登場した古詩群を抽出、
更に、これら別格の古詩諸篇が成立した年代の下限を推定しました。

こうした検討の結果、
原初的な古詩群の成立は前漢後期、
第一古詩群で最も遅れて登場した作品は、後漢初期の作であることが明らかとなりました。

この特別な古詩群は、いわゆる「古詩十九首」とは完全には重なりません。
(「古詩十九首」とは、『文選』巻二十九所収の古詩が十九首だというに過ぎません。)

本書の中で、古詩の誕生した場を推定し、古詩と古楽府との関係性を明らかにし、
建安の五言詩を、こうした漢代詩歌との連続性の中で捉えたのも、
上述のような論究がその土台となっています。
だから、本書の眼目はここにある、と申したのですね。

さて、李陵・蘇武の詩について、昨日言及した顔延之「庭誥」はこう言います。*

逮李陵衆作、摠雑不類。是仮託、非尽陵制。
(李陵の衆作に逮びては、摠雑にして類せず。是れ仮託にして、尽くは陵の制に非ざらん。)
李陵の諸作品になると、雑駁で一様であるとは言えない。
これは彼の名に仮託されたものであって、全て彼の作だとは言えないだろう。

顔延之の言うとおりだと思います。
このいわゆる「蘇李詩」に対しては、古詩を腑分けした上述の方法は適用できません。
建安詩との関係が深い「蘇李詩」であるだけに、非常にもどかしく思います。

それではまた。

2020年2月25日

*拙著のp.130―131に、『太平御覧』巻586に引くところを全文(上に引用したのはその一部です)紹介し、訓読、通釈を施していますが、読み間違いもありますし、よくわからない部分も多く残しております。御批正いただければ幸甚に存じます。