飛ぶ鳥を詠ずる詩の系譜

『藝文類聚』巻90、鳥部上・玄鵠の項に、
曹植、何晏、阮籍の詩が三首連続で収載されていますが、
これらの詩は、次の二つの点で共通しています。

第一に、詠じられているのが一対の鳥であること。

曹植の詩(『曹集詮評』巻4には「失題」として収載)には、
「双鵠倶遨遊、相失東海傍(双鵠 倶に遨遊し、相失す 東海の傍)」と、

何晏の詩には、以前こちらに引用したとおり、
「双鶴比翼遊、群飛戯太清(双鶴 翼を比べて遊び、群飛して太清に戯る)」と、

阮籍の詩(黄節『阮歩兵詠懐詩注』では其43、異同あり)には、
「鴻鵠相随去、飛飛適荒裔(鴻鵠 相随ひて去び、飛び飛びて荒裔に適く)」とあります。

これらの詩が共有している一対の鳥という要素は、
『藝文類聚』で曹植詩の前に引かれた古詩(『玉台新詠』巻1ほか古楽府「双白鵠」)が、
つれあいの病のためにともに飛ぶことができなくなった鳥の夫婦を詠っているのと、
同じ系統に属していると見ることができます。

けれども、第二の共通項は、漢代無名氏の詩歌には認められません。
それは、先の三首の詩が、鳥の飛翔を、網羅から逃れるためだと詠じていることです。

曹植詩にいう、
「不惜万里道、但恐天網張(万里の道は惜しまず、但だ恐る天網の張られたるを)」、

何晏詩にいう、
「常恐天網羅、憂禍一旦并(常に恐る 天網に羅りて、憂禍 一旦并さるるを)」、

阮籍詩にいう、
「抗身青雲中、網羅孰能制(身を抗す 青雲の中、網羅 孰か能く制せんや)」、

これらはいずれも、一対の鳥の飛翔を、網羅からの脱出と重ねています。*1

こうした要素は、前掲の漢代古詩(古楽府)には認められません。

曹植の表現は、隣接する時代の詩人たちにたしかな影響を及ぼしていますが、
ここに示した作品も、その一連の系譜を伝える事例だと言えます。
しばしばその特異性が指摘される阮籍「詠懐詩」ですら、
その来源を遡れば、曹植の表現にたどり着くことが少なくありません。*2

2024年7月30日

*1 同じ発想は、嵆康の「五言古意」詩にも読み取ることができる。興膳宏「嵆康の飛翔」(『乱世を生きる詩人たち 六朝詩人論』研文出版、2001年収載。初出は『中国文学報』16、1962年4月)を参照。ただし、興膳氏の所論は、阮籍や嵆康の詩と建安詩との間には質的な隔たりがあると捉えている。
*2 柳川順子「曹植文学の画期性―阮籍「詠懐詩」への継承に着目して―」(『中国文化』80号、2022年)にその一端を示した。