驚く力

こんばんは。

先ほど、概説的な科目のレポートを採点し終わりました。

成績評価というものがなければ、教員も学生も幸福なのに、といつも思います。
どうしても、このようなことを書けば評価されるのではないかという打算が見えるものがあって、
そうした姿勢になってしまうことに同情はしますが(大学受験の弊害)、
少なくとも私は「そういうのは評価しないの、ごめんね」ということになります。
というか、人を評価するとかしないとか、そういうこと自体が嫌い。

思いもよらなかったことを新たに知って驚く、
そんな体験がひとつでもあれば十分ではないかと思うのです。
(そんなことを言うのは現代日本の大学教員としては落ちこぼれでしょうけど)
だから、「授業を通して中国文学に対する認識が変わったこと」を書いてもらいました。

驚くということにはある種のエネルギーが要る、と気付かされました。

たとえば、中国古典文学といえば、教訓的で硬い儒教のイメージが一般的ですが、
そうではないものもあった、として志怪小説を挙げるのと、
儒教そのものに対する認識が変化したことを述べるのとでは次元が違います。
前者は、儒教というものの本質については保留したまま、別の分野に目を向けている、
後者の場合は、儒教に対する自身の先入観が切り払われて、そこで新しい思想に出会っているのです。

後者のような驚きを感じる人が、ひとりでも多く出てきてくれればと思います。

2020年8月12日