魚豢という歴史家がいた。
昨日お話しした焦先という人物、
彼の存在に目を止め、その事跡を記したのは、魚豢という魏の歴史家です。
彼の著した『魏略』という歴史書は、
『三国志』に注した南朝宋の裴松之が最も多く引く文献ですが、
完本としては現存していません。
ですが、
裴松之注に引かれた断片を網羅的に見ていくと、
魚豢の編集姿勢には、同時代の他の歴史書にはない独特の傾向が見て取れます。
たとえば、各人物の社会的位置よりも、その生き方に着目する列伝の括り方。
官僚の贈収賄、学問界の弛緩、不公平な人材登用など、
当時の上層支配者階級に対する批判が随所に噴出していること。
その一方で、無名の人物が懸命に生きた証を積極的に後世に伝えようとする筆致。
(その饒舌さが、唐・劉知幾の『史通』で批判されているほどです。)
『魏略』は、魚豢の私撰の歴史書ですが、
当時の国史編纂者が目睹できた資料に基づいて執筆されたと推定されます。
そして、
国家事業として編纂が命じられた『魏書』とは異なって、
時の王朝にはおもねらない、事実を事実として書き残そうとする姿勢が顕著です。
(私撰であるがゆえ、無名であるがゆえに、それが可能だったのでしょう。)
魚豢という人物は、身分制社会が固定していく中国中世の入口に立って、
その環境に言い知れぬ息苦しさを感じながらも、
歴史書の著述を以て、自身の思想を生ききったのだと思います。
もしよろしければ、こちらをご覧ください。
本稿を収載する『狩野直禎先生米寿記念三国志論集』(汲古書院、2016年)を、
手に取っていただければさらにありがたいです。
それではまた。
2019年7月9日