黄初六年の曹植と曹丕

こんばんは。

亀の速度で、まだ「黄初六年令」を読んでいます。
(訓み下しだけは、先にこちらに提示したことがあります。)

その中に見える次のようなフレーズに、強い既視感を覚えました。

孤以何徳、而当斯恵。孤以何功、而納斯貺。

 わたくしは何の徳があって、この恵みに浴しているのだろう。
 わたくしは何の功があって、この賜りものをいただいているのだろう。

徳と功とを対で並べ、
自身の乏しいそれに見合わないほどの恩恵を被っていると述べています。

これと非常に近い表現が、「求自試表」にも次のように見えていたのでした。

今臣蒙国重恩、三世于今矣。
……
今臣無徳可述、無功可紀、若此終年無益国朝、将挂風人彼己之譏。

 今、臣は国から手厚い恩を受けること、今に至るまで三代となります。
 ……
 今、わたくしには述べるべき徳は無く、記すべき功績も無く、
 こうして生涯、王朝に利益をもたらすことがなければ、
 『詩経』の詩人たちが歌う「彼己」の謗りにかかることでしょう。

何の徳も功績もないのに、王朝から手厚い恩恵を受けている、
ということを述べている点では、先の「黄初六年令」と共通しています。

けれども、「求自試表」の方は、
厚遇に見合う働きをしていないことへの焦燥感が強く全面に出ています。
この上表文は、太和二年(228)、
即位して三年目の明帝曹叡(曹植の甥)に奉られたものです。

一方「黄初六年令」の方は、
自身の兄である文帝曹丕からの恩恵を、
かたじけなくおしいただいているような口ぶりです。
(少し前の部分から文脈をたどれば、そのように判断できます。)
この時期の曹植は、兄の親愛を心の底からうれしく思っている様子なのです。

この黄初年間末の曹植と曹丕との関係性を伏線として、
その三年後に書かれた「求自試表」は捉える必要があるように思います。
明帝期の曹植だけに焦点を当てて見ていると、
まるで、分をわきまえず王朝への参画を望む人のようで、
そんなふうに断ずるのは酷です。

2022年8月29日