黄初四年の曹植
こんばんは。
昨日、曹植の「雑詩六首」其五について、
黄初四年(223)に成った「責躬詩」「贈白馬王彪」との関連性に触れ、
あわせて、その前年の作として「洛神賦」にも言及しました。
ですが、これはおそらく誤りで、この賦もまた黄初四年の作であるようです。
『文選』巻19所収の「洛神賦」は、その序文にこう言います。
黄初三年、余朝京師、還済洛川。……
黄初三年、私は都で皇帝に謁見し、封地に帰るのに洛水を渡ろうとした。……
ところが、その本文の冒頭に付けられた李善注が、こう指摘しています。
黄初三年、曹植は鄄城王となり、四年、雍丘に国替えされた。その年、都で皇帝に謁見した。
他方、『三国志』文帝紀に、黄初三年、文帝が許に行幸し、四年三月、洛陽宮に帰還したことを記す。……
『三国志(魏志)』及び諸々の詩はみな、四年に皇帝に謁見したと記す。
この「洛神賦」の序文に「三年」というのは誤りである。
「黄初三年」という辞句の下に特段の注記がないものだから、
この文面どおりなのだろうと思っていたところが、
そのすぐ三行後にこんな注があったとは。
李善は別に、三国の時代が専門だというわけではないのに、
恐るべき記憶力と洞察力です。
なにはともあれ、黄初四年という年は曹植にとって、
いくつもの出来事が重なって生起した時期であったと知られます。
「雑詩六首」が同時期の連作詩であると証明できれば面白い。
この時期の曹植が、暗喩で何を表現しようとしたか、明らかにできるかもしれません。
それは、明帝が即位して以降の彼とはかなり違っているはずです。
2020年6月16日