黄帝の属性(承前)

昨日の続きです。
黄帝には本来、神仙的属性はなかったようであるのに、
前漢の武帝に取り入ろうとする公孫卿が、申公なる者の書を引用して、
次のようなことを語っています(『史記』巻28・封禅書)

封禅七十二王、唯黄帝得上泰山封。
 封禅せるは七十二王なれど、唯だ黄帝のみ泰山に上りて封ずるを得たり。
……
中国華山・首山・太室・泰山・東莱、此五山黄帝之所常游、与神会。
黄帝且戦且学僊。患百姓非其道者、乃断斬非鬼神者。百餘歳然後得与神通。
 中国の華山・首山・太室・泰山・東莱、此の五山は黄帝の常に游び、神と会する所なり。
 黄帝は且つ戦ひ且つ僊を学ぶ。百姓の其の道を非とする者を患ひ、乃ち鬼神を非とする者を断斬す。
 百餘歳にして然る後に神と通ずるを得たり。

他方、『史記』巻1・五帝本紀の、黄帝に関する記述部分には、
黄帝のみが、泰山に登って封の儀を執り行うことができたとは書かれていません。
また、黄帝が中国の全土を転戦したことは、
「遷徙往来無常処(遷徙往来して常処無し)」と記されていますが、
そのような動線に並行して神仙の道を学ぶことがあったとは書かれていません。

思うに、方々へ征伐に赴いたという黄帝の動線が、
前掲の『史記』封禅書にいう「此五山黄帝之所常游、与神会」に転じ、
各地を転戦して、手向かう者たちを併合していった足跡が、
前掲の封禅書にいう「患百姓非其道者、乃断斬非鬼神者」に転じたのかもしれません。

『史記』五帝本紀に記されている、

万国和、而鬼神山川封禅、与為多焉。
 万国和し、而して鬼神山川封禅のこと、多と為すを与(ゆる)さん。

すなわち、中国各地を征伐して併合し、鬼神山川への報告が盛大であったとは、
曹植「駆車篇」の前半に記されていることと矛盾なく重なります。

けれども、曹植詩ではその後、
『史記』五帝本紀の記述内容から外れる神仙の要素を加えてゆき、
それは、『史記』封禅書の中でも、漢の武帝に関連する記述部分に見えるものです。

黄帝に対するこのような捉え方は、
曹植の「黄帝賛」「黄帝三鼎賛」(『藝文類聚』巻11)には認められません。
その一方で、「仙人篇」(『藝文類聚』巻42)に見える軒轅氏は仙人めいています。
曹植の中で、黄帝観、神仙観は揺らいでいるように感じられます。

2025年12月6日