恋文のような友情詩
昨日言及した顧栄は、故郷の呉にいる妻に贈る詩を、
同郷の友人であり、当代きっての文人、陸機に代作してもらっています。
(夫婦愛はプライベートではないのか、この種の代作は必ずしも珍しくありません。)
その陸機「為顧彦先贈婦(顧彦先の為に婦に贈る)二首」(『文選』巻二十四)の、
其二の末尾にこうあります。
願保金石躯 どうか貴方には金石のように頑健な身体を保たれて、
慰妾長飢渇 いつか、私の長い飢渇のような寂しさを慰めてくださいますよう。
そしてこの句は、白居易が元稹に宛てた「寄元九」詩(『白氏文集』巻十、0449)に、
次のとおり踏まえられています。
願君少愁苦 どうか君、あまりひどく愁え苦しむことのないように。
我亦加飡食 私もまた、しっかり食べて元気をつけよう。
各保金石躯 それぞれ金石のように頑健な身体を保ち、
以慰長相憶 長く相手を思慕している切なさを慰めようではないか。
この白居易詩は、前掲の陸機の詩に加えて、
古楽府「飲馬長城窟行」(『文選』巻二十七)にいう次の辞句も踏まえています。
上有加餐食 (貴方からの手紙の)冒頭には「ご飯をしっかり食べよ」と、
下有長相憶 結びには「長くおまえのことを思っている」と書いてありました。
陸機の詩も、この詠み人知らずの歌詩も、男女間の愛情を詠じている。
つまり、白居易の詩は、友人の元稹をほとんど妻や恋人のように思い為しているのです。
このことについては、かつて唐代の書簡文との関係から論じたことがあります。
([論著等とその概要]の[報告・翻訳・書評等]№15。原稿も公開しています。)
では、こうした詩風はどのような歴史的経緯から誕生したのでしょうか。
「古詩」が後宮の女性たちに由来するとの推定はこちらでも述べたとおりですが、
その後続作品「蘇李詩」(論文№28)あたりが、上述のような詩の淵源なのかもしれないと考えています。
李陵と蘇武という無骨な男同士の離別詩に、なぜか夫婦の睦言が出てくるのですね。
しかし、五言詩の系譜をたどれば、これは必然のこととして納得されます。
そして、この詩風は後漢末の建安詩にも認めることができます。
では、それ以降、唐代に至るまでどうだったのか。
それは未解明です。
それではまた。
2019年8月28日