鮮明な思い出
かつても取り上げたことがある、曹植「元会」詩、
その成立は、彼の最晩年に当たる、明帝の太和六年(232)でした。
魏王朝は、元旦の会に諸王を呼ばず、
明帝による招待は、特別な恩義によるものであったことも先に述べましたが、
この明帝のはからいを引き出したと思われる曹植の文章が、
次に示す「請赴元正表(元正に赴かんことを請ふの表)」(『曹集詮評』巻七)です。
欣豫百官之美 百官が居並ぶ美しさをうれしく思い起こし、
想見朝覲之礼 臣下たちが君主にお目通りする礼議の有様に思いを馳せる。
耳存九成 耳には雅やかな舜の音楽の余韻がありありと残っており、
目想率舞 目にはその音楽に合わせて百獣が連れ立って舞った様子を思い浮べる。
「九成」「率舞」は、『書経』益稷に出る語で、*
その古典籍の文脈を踏まえて、上記のように意訳しました。
かつて父曹操のもとで目の当たりにした、元旦の会での歌舞を指していると見られます。
それを鮮明なイメージとともに想起し、言葉に表現することによって、
そうした場に加わることへの強い願いを述べたのが、前掲の上表文なのでしょう。
この文章は断片でしか残っていないのですが、
その伝存部分は、このように、ありありと思い浮かべられた思い出の描写です。
それと題目とを結んだところに、本上表文の趣旨をこのように読み取ることができそうです。
それではまた。
2019年12月24日
*『書経』益稷に、「簫韶九成、鳳皇来儀」、「予撃石拊石、百獸率舞、庶尹允諧」と。