長いスパンで考える
毎年、高校への出前授業にエントリーします。
それが大学教員としての仕事であるから、というよりは、
高校生に、少しでも中国古典の世界に触れて、面白いと思ってもらいたいから。
とはいえ、高校の方からのオファーはほとんどありません。
以前はそれなりに呼んでいただけましたが、このところはさっぱりです。
本年度は、「異文化体験としての古典学修」と題して次の概要を登録していました。
中国古典『孟子』に由来する日本語「独善」を取り上げて,今と昔,中国と日本との間にある意味の違いや,そのような変質が生じた背景について考察します。古典を学ぶということを,一種の異文化体験と捉え直してみましょう。
自分としては、なかなか面白いテーマだと思うのですが、つまらないでしょうか。
自分が面白いと思うことを話す、というのが基本だと思っているので、仕方がないです。
このたびは、「嚴島に伝わる舞楽の来源」と題して、次の概要を登録しました。
嚴島神社に伝わる舞楽はどこからやって来たのでしょうか。この問題を究明しながら,私たちは,日本列島という東アジアの一隅が,広大な世界とつながっているという事実を知ることになるでしょう。
来年度(今年の4月)、大学全体が再編され、
現在所属している「人間文化学部・国際文化学科」が、
「地域創生学部・地域創生学科・地域文化コース」となりますが、
このことを意識して、出前授業のエントリー内容を考え直したわけでは必ずしもありません。
話の土台となるのは前に行った研究ですし*、授業でも取り上げてきた内容です。
また、大学教育の中での自分の分野の位置づけや役割についても、
もう長いこと試行錯誤を重ねながら考えてきています。
心ある教員は皆そうなのではないでしょうか。
長いスパンで物事をとらえ、若い人にとって根幹となるものをじっくりと育てていく、
それが、社会の中で大学が果たすべき役割なのだと私は思っています。
それではまた。
2020年2月21日
*こちらの[学術論文]№26、№36、及び[報告・翻訳・書評等]№12をご参照いただければ幸いです。