典故の指摘という解釈

曹植「箜篌引」の訳注稿を公開しました。
この作品の中に、「磬折」という語が出てきます。

この語は、たとえば経書の中では、『礼記』曲礼下に、
「立則磬折垂佩(立てば則ち磬折して佩を垂る)」と見えています。
君臣間で物を受け渡しする際の礼儀作法を説いたものです。

語句の説明としては、ここを出典として示すので十分妥当でしょう。
ところが、本詩を収録する『文選』巻27の李善注は、次に示す『尚書大伝』を挙げます。

諸侯来、受命周公、莫不磬折。
天下の諸侯たちがやってきて、周公から命を受け、誰もが腰を折り曲げた。

これを踏まえるとなると、
「磬折」という語は、有力者に対して恭順の姿勢を取るという意味を強く帯び、
それを織り込んだ「磬折欲何求」は、人々のそうした姿勢を軽くいなすニュアンスを帯びてきます。

そして、李善のこの語釈は、彼が本詩の冒頭「置酒高殿上、親友従我遊」に対して、
漢の高祖劉邦をめぐる『漢書』高帝紀下の記述を指摘していることとも響きあっています。

つまり、李善注は曹植「箜篌引」の背景に、
有力者とそのもとに集まる人々という人間模様を浮かび上がらせようとしているのです。
(当時の酒宴には、そうした人間関係はつきものではありましたが。)

李善は、古今の知識には通じているが、自身は文章が作れないため、
世間の人々に「書簏」と呼ばれていたそうです(『新唐書』巻202・文芸伝中・李邕伝)。
「書簏(本箱)」とは、よく文学的感性に乏しい人を揶揄して用いられますが、
はたして李善にこのあだ名はふさわしいものであったかどうか。

文人としても知られる呂向(『文選』五臣注の五人の注釈者の一人)は、
この部分に対して次のような注を付けています。

磬折、曲躬也。言君子以謙徳曲躬於人、固無所求。
磬折とは、曲躬なり。言ふこころは君子は謙徳を以て人に曲躬し、固より求むる所無きなり。

君子は謙譲の美徳で人にへりくだり、もとより何も求めないのだ、という解釈です。
この読みによるならば、本詩中で腰を折り曲げている人々は、無欲で立派な君子たちです。

李善注は、典故を指摘するのみにとどめられる場合が多い。
ですが、彼の感受性は、詳しく解釈を施す五臣に比べてどうでしょう。

少なくともこの詩に関しては、
李善の方が、はるかに深い解釈に踏み込んでいたように私には感じられます。

それではまた。

2020年3月21日