不遇な者からの慰め
こんにちは。
今日、曹植「贈徐幹」の訳注稿を公開しました。
それから、徐幹の足跡に関する先行研究を、こちらに追記しました。
以前、徐幹の没年の問題をめぐって右往左往したことがありますが、
興膳宏編『六朝詩人伝』(大修館書店、2000年)の、
林香奈氏による「徐幹」の項の注に、非常に詳しく説明が為されていました。
身近にあるのに、これを開いてみることに気づけなかった。
ほんとうに恥ずかしい限りです。(実は、少なからず落ち込みました。)
他にも同じような不備が至るところにあるだろうと思います。
(ものを知らないことでは人後に落ちませんから。)
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さて、「贈徐幹」詩は比喩が難解で、
それだけに解釈の分かれるところが多々ありますが、
なかでも特に先行研究とは少しく異なる考えに至ったのは次の点です。
6句目「小人」、20・22句目「和氏」、21句目「知己」は、すべて曹植を指す。
23・24句目「良田」「膏沢」は、主君(曹操)の徳ある恩恵をいう。
つまり、以下のように捉えたのです。
曹植自身も、自身の過失に起因する不遇な状態にある。(第20句)
そのため、徐幹をその才能にふさわしい官職に推薦することができない。(第22句)
だが、主君は豊かな恩沢を施してくれるはずなので、(第23・24句)
その持てる才能を磨き続ければ、いずれは世に認められる時が来るはずだ。(第25・26句)
このように言って、不遇な徐幹を、自身も不遇な曹植が慰めているのだと解釈しました。
この解釈が成り立つためには、
徐幹が官界を離れて執筆に専念していた時期と、
曹植が過失を犯した時期とが重なっていることを示さなくてはなりません。
先に、このことについて考えてみたことはあるのですが、
(他にも「徐幹」でサイト内検索してみていただければ幸いです。)
読み返してみると、今ひとつ根拠薄弱です。
困ったものです。
2020年4月10日