04-09 贈徐幹

04-09 贈徐幹  徐幹に贈る

【解題】
「徐幹」(一七〇?―二一七?)は、北海(山東省)の人。孔融、陳琳、王粲、阮瑀、応瑒、劉楨とともに「建安七子」と総称される(『文選』巻五十二、曹丕「典論論文」)。曹操の下で司空軍謀祭酒掾属、曹丕の下で五官中郎将文学を務め(『三国志』巻二十一・王粲伝)、建安十九年(二〇四)、臨菑侯となった曹植に文学として仕えた(『晋書』巻四十四・鄭袤伝)。政治哲学を著した『中論』が伝わっている。無名氏によるその序によると、徐幹は曹操の命により従軍を重ねた後、五六年を経て病が重くなってきたため、官界から離れて陋巷に身を潜めたという。本詩は、この時期の徐幹に贈られたものと思われる。『文選』巻二十四所収。徐幹の事蹟については、曹道衡・沈玉成編『中国文学家大辞典・先秦漢魏晋南北朝巻』(中華書局、一九九六年)、興膳宏編『六朝詩人伝』(大修館書店、二〇〇〇年)五九―六一頁、林香奈氏による「徐幹」の項を参照。

驚風飄白日  驚風 白日を飄(ひるがへ)し、
忽然帰西山  忽然として西山に帰る。
円景光未満  円景 光 未だ満たず、
衆星粲以繁  衆星 粲として以て繁し。
志士営世業  志士は世業を営み、
小人亦不閑  小人も亦た閑ならず。
聊且夜行遊  聊且(しばら)く夜に行遊し、
遊彼双闕間  彼の双闕の間に遊べり。
文昌鬱雲興  文昌は鬱として雲の興るがごとく、
迎風高中天  迎風は中天よりも高し。
春鳩鳴飛棟  春鳩は飛棟に鳴き、
流飆激櫺軒  流飆は櫺軒に激す。
顧念蓬室士  蓬室の士を顧念すれば、
貧賤誠足憐  貧賤 誠に憐れむに足る。
薇藿弗充虚  薇藿 虚しきを充(み)たさず、
皮褐猶不全  皮褐 猶ほ全からず。
慷慨有悲心  慷慨して悲心有り、
興文自成篇  文を興こせば自ずから篇を成す。
宝棄怨何人  宝の棄てらるるに何人をか怨まん、
和氏有其愆  和氏に其の愆(あやまち)有り。
弾冠俟知己  冠を弾きて知己を俟(ま)ち、
知己誰不然  知己も誰か然らざらん。
良田無晩歳  良田 晩歳無く、
膏沢多豊年  膏沢 豊年多し。
亮懐璵璠美  亮(まこと)に璵璠の美を懐けば、
積久徳愈宣  積むこと久しくして徳は愈(いよいよ)宣(の)べられん。
親交義在敦  親交 義は敦きに在り、
申章復何言  章を申(かさ)ねて復た何をか言はん。

【通釈】
激しい風が白く輝く太陽を吹き飛ばし、太陽はあっという間に西方の山へ帰っていった。月はまだ満月の光をたたえてはおらず、あまたの星が燦然とびっしりと輝いている。志士は、先祖代々受け継いできた仕事に精を出し、小人もまた閑居しているわけではない。まあとりあえずは夜の散歩にでかけ、かの向かい合う宮城の門のあたりをぶらついてみた。文昌殿はうっそうと雲が湧きあがるように建ち、迎風観は周の穆王が築いた中天台よりも高くそびえている。春の鳩は、飛翔するかのごとき高い棟木の間に鳴き交わし、渦を巻いて流れる風は、連子を施した欄干に激しく吹き付ける。振り返って粗末な草堂に暮らすそなたに思いを致せば、その貧賤のあり様にはまことに憐憫を禁じ得ない。のえんどうや豆の葉では空腹を満たせないし、粗末な皮衣では身体を十分に覆うこともできない。そなたは悲憤慷慨の思いをかかえ、それを美しい言葉で表現すれば自ずからひと綴りの書物に結実する。そなたのような宝が打ち捨てられていることについて、いったい誰を怨もうか。宝を見出して献上すべき人間に、その過ちがあるのだ。冠を弾いて、仲間内の知己が推薦してくれるのを心待ちにし、その知己だって誰が同じでないだろう。みな仲間同士で推薦し合っているような具合だ。ともあれ、よく肥えた田に収穫の遅れはなく、恵みのうるおいにより穀物は豊かに実ることだろう。真に宝玉の美質を備えていれば、久しい時を重ねて、そなたの徳はいよいよ広く知られることになるはずだ。親密なる交わりは、篤い情誼を重んずるところにその意義がある。美辞麗句を重ねて、これ以上また何を言う必要があろうか。

【語釈】
○驚風飄白日・忽然帰西山 類似句として、『文選』李善注に引く「古歩出夏門行」に、「行行復行行、白日薄西山(行き行きて復た行き行き、白日は西山に薄(せま)る)」と。
○円景 まるい光、月をいう。
○衆星 あまたの星。『論語』為政にいう「為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之(政を為すに徳を以てす、譬ふれば北辰の其の所に居りて、衆星の之に共するが如し)」を響かせるか。
○志士 高い道義心を持つ人。『論語』衛霊公に「志士仁人、無求生以害仁(志士仁人は、生を求めて以て仁を害する無し)」と。
○小人亦不閑  「小人」は、道義心に乏しい小人物。一句は、『礼記』大学にいう「小人閑居、為不善(小人閑居して、不善を為す)」を響かせる。
○双闕 宮殿の門の上に設けられた一対の楼閣。ここでは広く宮城全体を指す。
○文昌 魏の都、鄴に建てられた正殿の名。『文選』巻六、左思「魏都賦」に詳しい描写が見える。その一句「造文昌之広殿(文昌の広殿を造る)」に対する張載の注に「文昌、正殿之名也」と。なお、李善注はこれを「劉淵林(劉逵)魏都賦注」として引いているが、『文選』巻三、「三都賦序」の注には、「蜀都賦」「呉都賦」の注は劉逵、「魏都賦」の注は張載によることが記されている。
○迎風 鄴にある楼観の名。『文選』巻三十四、曹植「七啓」にも「迎清風而立観(清風を迎へて観を立つ)」、その李善注に引く『地理書』に「迎風観在鄴」と。
○中天 周の穆王が、西域からやってきた変幻自在の人をもてなすために建てた高楼の名(『列子』周穆王)。
○春鳩 『礼記』月令、仲春の月に「鷹は化して鳩と為る」と。王粲の詩(『藝文類聚』巻九十二)に「鷙鳥化為鳩、遠竄江漢辺。遭遇風雲会、託身鸞鳳間(鷙鳥は化して鳩と為り、遠く江漢の辺に竄(かく)る。風雲の会するに遭遇し、身を鸞鳳の間に託す)」と。これを受け、曹魏政権下に蝟集する人々を表現するか。黄節『曹子建詩註』巻一を参照。
○櫺軒 「櫺」は連子。手すりなどに取り付けられた格子。「軒」は高楼の手すり。欄干。
○蓬室 飛蓬(ヒユ科の植物)で屋根を葺いた粗末な家屋。徐幹の住まいをいう。
○薇藿 のえんどうと豆の葉。粗末な食事をいう。
○弗充虚 『墨子』辞過に、古代の食事について「足以増気充虚、彊体適腹而已(以て気を増し虚を充たし、体を彊(つよ)くし腹に適(かな)ふに足るのみ)」と述べるのを踏まえ、最低限の水準をも満たせない貧しい食生活をいう。
○皮褐猶不全 「皮褐」は、粗末な皮の衣。『淮南子』斉俗訓に、貧民の冬の暮らしぶりを描写して「羊裘解札、短褐不掩形而煬竈口(羊裘は解札し、短褐は形を掩はずして竈口に煬(あぶ)る)」と。
○慷慨 志ある人が思いを遂げられずに憤る。
○興文自成篇 「文」は彩なす言語表現。一句は、徐幹における『中論』の執筆についていう。
○宝棄怨何人・和氏有其愆 「宝」は徐幹を指す。「和氏」は、春秋時代楚の卞和。山中で得た玉の原石を繰り返し王に献上したものの、その真価が認められずに肉刑を受けたが、後にその原石は磨かれて宝玉と認められ、「和氏の璧」と命名された(『韓非子』和氏)。ここでは徐幹という優れた人物を推薦すべき立場にある人を指す。「愆」は過失。適切な人材推薦ができない過ちをいう。
○弾冠俟知己・知己誰不然 「弾冠」は、官僚がかぶる冠の埃を払って、推薦されるのを待つことをいう。『漢書』巻七十八・蕭望之伝附蕭育伝に、蕭育と朱博、王陽と貢公の相互推薦を揶揄する長安の語として、「蕭朱結綬、王貢弾冠(蕭・朱は綬を結び、王・貢は冠を弾く)」と見える。「知己」は、自分の価値を認めて推挙してくれる者をいう。前掲の「和氏」に対応する。
○良田無晩歳・膏沢多豊年 「良田」「膏沢」は主君の徳をいう。「豊年」は、穀物が豊かに実ること。豊かな実りは、為政者の徳の証である。『国語』晋語四に記す子餘の語に、「若君実庇廕膏沢之、使能成嘉穀、薦在宗廟、君之力也(若し君 実に之を庇廕膏沢し、能く嘉穀を成さしめて、宗廟に薦むるは、君の力なり)」と。
○璵璠 君子が佩びる美玉(『春秋左氏伝』定公五年の杜預注)。徐幹の徳を喩える。
○親交義在敦 「親交」は、親密な間柄。ここでは、徐幹と曹植との間に結ばれた篤い情誼をいう。他方、この語は、血縁関係による交わりをいう場合もある。『荘子』山木にいう「吾犯此数患、親交益疏、徒友益散(吾は此の数患に犯ひて、親交は益疏く、徒友は益散ず)」について、唐の成玄英の疏が、「親交」と「徒友」とを対で捉えて「親戚交情」「門徒朋友」と解釈するのがそれである。もし後者の解釈を取るならば、曹植が、自身の曹魏一族との血縁関係に、徐幹が厚遇されるという望みを託していることになる。なお、一句に類似する表現として、『文選』巻二十四所収「贈丁儀」(04-10)に「親交義不薄(親交 義 薄からず)」とある。
○申章 「申」は、重ねる。「章」は、彩なす言葉。