000年(000)0歳:巻1「武帝紀」裴注引司馬彪『続漢書』:曹騰の父の節(字は元偉)は、恩情の人としての評判あり。豚を失った隣人が節の家の豚を自分のものと主張した時も口論せず、隣人の勘違いを許した。その末子の曹騰(字は季興)は、年少で黄門の従官に任命された。永寧元年(120)、鄧太后の詔により皇太子の学友として選出され、皇太子が即位すると(順帝)、小黄門となり、中常侍大長秋にまで至った。三十余年間宮中に仕えて過失がなかった。人材の推挙を好み、曹騰が推薦した陳留の虞放、辺韶、南陽の延固、張温、弘農の張奐、潁川の堂谿典らは皆公卿となったが、曹騰はそれを誇らなかった。曹騰と蜀郡太守との関係を告発した益州刺史の种暠を、却って賞賛し、後に司徒となった种暠は彼に恩義があることを表明した。桓帝が即位すると(146)、費亭侯に封ぜられる。太和三年(229)、高皇帝と追号。1-p.2*, 1-p.008**

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