2020年 一覧情報 2020年12月08日 巻64「呉書・諸葛恪伝」:諸葛恪、論を著して人々を諭し、……かつて劉表は荊州にあって、十万の衆を持ち、財や食料は山のように豊富だったが、曹操がまだ微弱なときに全力で対決しようとせず、それが強大となって袁氏を滅ぼすのを手をこまねいて見ていた、……と。5-p.1436*, 8-p.106** 2020年12月08日 巻64「呉書・諸葛恪伝」裴注引『漢晋春秋』:諸葛恪、蜀に使者をやって、魏に対して同時に事を起こそうと持ちかけ、……曹操以来、かの国が滅びる兆しは、今日ほど強まったことはない、と。5-p.1435*, 8-p.105** 2020年12月08日 巻62「呉書・胡綜伝」:胡綜は、偽って呉質のために投降文を作り、その三の文章に、その昔、許攸が袁紹を捨てて曹操に就き、よい建策を行って成果を上げたことを述べる。5-p.1417*, 8-p.063** 2020年12月08日 巻58「呉書・陸遜伝」:呉が劉備を防御していたとき、諸将軍は、あるものは孫策の時の旧将で、あるものは公室の貴戚で、それぞれが驕って聞き従わなかった。それで、陸遜は剣を押さえて、「劉備は天下に知られた人物で、曹操も恐れたところだ。……」と。5-p.1347*, 7-p.276** 2020年12月08日 巻57「呉書・虞翻伝」:孫権が宴席で虞翻を殺そうとしたとき、劉基がこれを留めた。孫権は、曹操が孔融を殺したことを引き合いに出して正当化しようとしたが、劉基がこれを諌めた。5-p.1321*, 6-p.204** 2020年12月08日 巻52「呉書・諸葛瑾伝」:孫権の言葉として、「陸遜の上表によると、曹丕が死んで、魏の民は混乱するかと思っていたら静かで、聞けば皆よい人材を選んで用い、刑罰を寛大にし、恩恵を施し、賦役を軽減して、民を喜ばせ、曹操のときよりも更に手ごわい相手になっているという。だが自分はそうは思わない。曹操の所業は、殺戮を繰り返したという点でやや誤っており、骨肉の間を引き裂いたという点で酷薄なだけだ。諸将を御することにおいては前代未聞だ。曹丕は曹操に全く及ばず、今の曹叡は曹丕に及ばないこと、ちょうど曹丕が曹操に及ばないのに等しい。……陳羣や曹真らが任用されているそうだが、彼らは文人や宗室の人間であるだけで、勇猛な将軍たちを御して天下を制圧することはできない。……また陳羣らが昔よく善を守り通せたのは、曹操がその頭を押さえつけ、曹操の威厳が怖かったので、全力で励み、敢えて悪事をなすことができなかっただけだ。……」と。5-p.1234*, 6-p.385** 2020年12月08日 巻52「呉書・張昭伝」裴松之注:張昭が、孫権に曹操への帰順を進めたのは、中国が統一され、無駄な戦いを避け、人民の生活を平和に保つ上では有益なことだったのに、それが果たされなかったという趣旨のことを説く。5-p.1222*, 6-p.353** 2020年12月08日 巻48「呉書・孫晧伝」裴注引『襄陽記』:張悌、呉人の問いに答えて、「曹操は功績は中夏を蓋い、威勢は四海を震わせたが、権謀術策を弄し、絶えず征伐をし、民はその威力は恐れても、その徳に懐くことはなかった」と。5-p.1175*, 6-p.126** 2020年12月08日 巻47「呉書・呉主伝」:黄龍元年(229)、蜀との盟約の中に、「董卓に始まって曹操に終わるまで、悪逆を極めて天下を覆い、……」と。5-p.1134*, 6-p.124** 2020年12月08日 巻47「呉書・呉主伝」裴注引『呉書』:(鄭泉、蜀に使いし、劉備に孫権から返事のない理由を問われて)「曹操父子は漢室を蹂躙し、ついにはその位を奪った。殿下は宗室に属していながらこれを守らず、却って自ら帝と称しているから、我が君は返書をしないのだ」と。5-p.1129*, 6-p.110**