興平01年(194)40歳:巻1「武帝紀」:(曹操が陶謙討伐に出ていた時)張邈が陳宮とともに寝返って呂布を迎え入れ、郡県も皆これに応じた。荀彧・程昱は鄄城を保持し、范・東阿の二県は固く守っていた。曹操、軍を引き上げて帰還。呂布、到着すると鄄城を攻めたが落せず、西方の濮陽に駐屯した。曹操は、「呂布はわずかの間に一州を手に入れながら、東平に拠り、亢父・泰山間の道を断ち切り、その険阻に乗じて我が軍を迎えるということもできずに、なんと濮陽に陣取った。ここから私は彼の無能さがわかった」と言って進軍。呂布は兵を出して戦い、まず騎兵でもって青州兵に攻め込んだ。青州兵は遁走し、曹操の陣は乱れ、曹操は火を突いて脱出して落馬し、左掌に火傷を負った。司馬の楼異は曹操を助けて馬に乗せ、かくして引き上げた。1-p.11*, 1-p.029** 只今、制作中です。