興平01年(194)40歳:巻1「武帝紀」裴注引袁暐『献帝春秋』:曹操が濮陽を包囲した時、濮陽の大姓の田氏が内通したため、曹操は城内に入ることができた。(曹操は入城した時)その東門を焼き、引き返すつもりのないことを示した。戦いに及んで、軍は敗れた。呂布の騎兵は曹操を捕えたが、それが彼だと知らず、「曹操はどこか」と聞いたので、曹操は「黄色い馬に乗って逃げているのがそれだ」と答えた。呂布の騎兵はそれで曹操を釈放し、黄色い馬を追った。門の火はなお燃え盛っていたが、曹操は火を突破して脱出した。1-p.12*, 1-p.030**

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